6年前、老年に入り、平穏な老後が暮らせるかと思っていたら、突然、結核といわれ、更にガンといわれ、気力を失い、精神的にドン底に落ち込んだ頃があった。そんなとき、1枚のハガキが届いた。ヒマワリの大きな花だ。花の上に字が書かれている。「季節はずれのヒマワリですが、この花を見ていると、きっと元気が出ますよ」。差し出し人は、京都のさゆりさん。消印は2009年9月、裏には、次のコメントが記されていた。「40年近く、騎士誌の読者です。楽しく読ませてもらっています。どうしても一言いいたくて、ペンを取りました。お祈りしております。元気を出してください。感謝のうちに」。励ましてくれて嬉しかった。このハガキは、今でも大切に身近かに残している。★あれから6年が経過した。時代も変われば、環境も変わる。ヒマワリの後、2年後に、健康だったご主人が病気になられたことを知った。ルルドのお水を送ると共に、例の「ヒマワリの花」をコピーして、「持っていなさい」と、今度は、ヒマワリが、さゆりさんの力になるよう願った。文通はつづいたが、一時期、回復はしたものの、亡くなられたことを告げられた。★昨日、さゆりさんから1枚のハガキが届いた。「お体のお加減はいかがですか。お大事になさってください。昨年末、主人を偲ぶ写真展をしました。ギャラリーの中で、懐かしい方々と再会ができて嬉しかったです」とかかれていた。裏には、ご主人のカメラの写真があった。ご主人はカメラマンであった。
長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2015年3月16日月曜日
元気にさせてくれるヒマワリ、1枚のハガキ。忘れない
6年前、老年に入り、平穏な老後が暮らせるかと思っていたら、突然、結核といわれ、更にガンといわれ、気力を失い、精神的にドン底に落ち込んだ頃があった。そんなとき、1枚のハガキが届いた。ヒマワリの大きな花だ。花の上に字が書かれている。「季節はずれのヒマワリですが、この花を見ていると、きっと元気が出ますよ」。差し出し人は、京都のさゆりさん。消印は2009年9月、裏には、次のコメントが記されていた。「40年近く、騎士誌の読者です。楽しく読ませてもらっています。どうしても一言いいたくて、ペンを取りました。お祈りしております。元気を出してください。感謝のうちに」。励ましてくれて嬉しかった。このハガキは、今でも大切に身近かに残している。★あれから6年が経過した。時代も変われば、環境も変わる。ヒマワリの後、2年後に、健康だったご主人が病気になられたことを知った。ルルドのお水を送ると共に、例の「ヒマワリの花」をコピーして、「持っていなさい」と、今度は、ヒマワリが、さゆりさんの力になるよう願った。文通はつづいたが、一時期、回復はしたものの、亡くなられたことを告げられた。★昨日、さゆりさんから1枚のハガキが届いた。「お体のお加減はいかがですか。お大事になさってください。昨年末、主人を偲ぶ写真展をしました。ギャラリーの中で、懐かしい方々と再会ができて嬉しかったです」とかかれていた。裏には、ご主人のカメラの写真があった。ご主人はカメラマンであった。
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カメラマンが感動して撮った一枚のひまわりは、そのままではただの写真でした。それが病む修道士様に送られることによって回復への力となったのですね。「京都のさゆりさんの葉書」はいろんなことを教えてくれます。並べられた遺品のカメラは哀切です。
返信削除神様の環は本当に不思議ですね。
返信削除このひまわりの写真もさゆりさんの御主人さまの
ご撮影でしょうか?