2016年11月17日木曜日

病んだとき、母が傍に居てくれた。それが救いになる

ホームの玄関前の、庭の細い花壇に、最近、植えられた小さな花々です。冬に入ったせいか、陽のヒカリは弱いです。花々は大丈夫、育つでしょうか。
★今朝、ミサのとき、次の祈りがありました。「・・・いつも同じ愛をもって、悩み、苦しむ人々に、仕える心をお与えください」。ふと、考えたことがありました。
★それは自分の人生で、振り返えるとき、一番苦しかったことは何か。
★これまで少年の頃から、度々、病気になり、入院をしてきた。入院したとき、一番望んだことは、何か。それは遠い出来事だが、母がいつも傍に居てくれたことだった。決して、それは忘れない。唯一の慰めが、母の愛であった。
★病むベッドのそばに、家族が居ない、縁者がいない、誰も居ない状態があるとすれば、それが一番寂しい、苦しいこと、悩みだと思う。誰かに、傍に居てほしい。これほど切なる願いは、今はないと思う。
★同じ町内の、別の小さなホームに住む修道士さんが、町内の医院に入院して、不具合だと聞いた。今日は、高原修道士さんを誘って、お見舞いに行った。病室には誰も居なくて、彼は苦しんでいた。慰め、励ましの言葉をかけたが長居は出来なかった。本人も苦しそうであった。
★病人は、病いと闘っているから、苦しい身体状況にある。話をすれば疲れるでしょう。しゃべりたくない、気持ちもあるかも知れない。しかし、何も話さなくても、そばに誰かが居くれたら、何と心強いことだろう。それは分かっている。病む人の一番の願いは、居てほしい、これでしょう。だが、現実には長居は出来ない。「・・・いつも同じ愛をもって」「仕える心を与えてください」。それは、ただ、祈りに終わっていいのだろうか。