2014年12月7日日曜日

なぜか、母を思う。母は戦争を生きて幸せだったか

なぜか、母親の写真を載せました。明日が、太平洋戦争の開戦日でしょう。昭和1ケタの人間は、どうしても戦争のことは忘れられません。避けて通れない。夫婦で出稼ぎで、北朝鮮へ出た。早くして夫を病没させて、ひとり現地で苦労したと思いますよ。長崎へ帰ってからは、戦争です。原爆で行方不明となった。苦労の多い母から教えられたのか、「人の痛みをわかる」でなくて、「人の痛みは、3年でも、こらえる」というのが、あったように思う。人は、そうそう、理解しては、くれない。人に頼らずに、自分で苦しみを受け止めて、耐えて生きなさい。そういう教えでは、なかったか。人の痛みを理解するのも難しいが、自分で耐えていくのも、これも難しい。母は、戦争時代を生きて、幸せだったろうか、と思う。幸せなことは、ないだろう。日本は不幸な戦争の時代を、長く苦しんだ。母が教えた言葉に、「わしが、テッポで、わしを、撃ったら、わしも、たまがる。わしも、たまがる」。たまがる、は、ビックリする、おどろく。わたしがテッポウで、鷲(わし)を撃ったら、鷲もビックリするさ、私も、ビックリするさ、ね。そんな意味だった。世の中は、撃つのは、いいけれど、かならず反動がある、そういうことでしょう。反動はほんとに、あります。