長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年6月21日土曜日
昨夜の、3つの電話の物語。情報は早目が、よし。
6月は、イエスの聖心の月です。聖母の騎士・聖堂のイエスの聖心のご像。①夕方、電話があった。天草の幸男さんからだった。「来週、五島へ巡礼に行きたい。初めてなので、現地で、誰か、いい案内役を紹介してほしい」。トマの答えは、こうです。「そんなに急に言われても、困るな。まあ、考えてみるよ」。以前は、よく行った五島だったが、最近は行かないので、案内役は即座には浮かばない。即答できなかった。②数分して、次に又、電話があった。市内の照美さんからだった。「数日前、ブログに載せていた最後の晩餐(墨絵)ね。作者が分かりました。北海道の小樽の美術館から、作品集のコピーが送られてきた。日曜日に持ってきますから、ね。それを見れば、わかるでしょう」「ありがたい。作者が、もう分かったの?早ーィ」。情報を集めるのが、照美さんは、うまいね、と感心した。時々、メールで励ましてくれる。そこで、(そーだ、あの、案内役のこと、聞いてみよう?)。照美さんに、天草の幸男さんの願いを伝えると、「その人のこと、以前、トマさんのブログで読んだことが、ある。わかったわ。当たってみる」。③その夜、夕食後、3度目の電話があった。市内の照美さんからだった。「五島での案内役が見つかりました」「え?、もう見つかったの?早-ィ」。情報の速さに、びっくりした。照美さんは、情報アンテナを沢山、立てていると感心した。それに、即答するのも、感心や、な。照美さんが言うには、「自分が知っているシスターの両親が、五島に居られる。シスターさんを通じて、そのご両親にお願いしたら、快諾してくださった」。シスターのご両親の案内役なら、安心だし、確実だよね、とトマは喜んだ。そこでトマは、照美さんに聞いてみた。「五島に巡礼に行ったこと、あるんでしょ?」「それが、ないのよ」。トマはちょっと、びっくり。「え、なに、五島に行ったこと、ない?そんなこと、ある?考えられん。確かに、行かない人は居るよ。でも、ね。照美さんが行かないなんて、考えられん」と、なにやら、みょうに(五島へは、行きなさい)と燃えてきた。すると最後に、照美さんの言葉。「トマさん、お酒に、酔っているの」
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