2018年3月8日木曜日

35年前に書いた一条の字。どんな年だったか

35年前(1983年)、サインした自分の字が見つかりました。「十字架ニ至福アリ」。結構、キレイに書けていますが、どんな気持ちで記したのでしょうか。55歳でした。35年前は、どんな経験を積んだのでしょうか。自分の年表を開いてみました。
★この時は、任命されて聖母の騎士誌の編集者でした。前の年、コルベ神父は聖人の位に挙げられました。特別聖年(ヨハネ・パウロ二世教皇)が始まる。聖コルベの特集号を発行しました。また自著「長崎のコルベ神父」も出版しました。初夏に、40日程、ローマン修道士と一緒に、ポーランド・ローマを訪問しました。
★この歳で、通信教育で大学を6年かけて卒業し、2週間、教育実習を行ない、社会の高校2級、中学1級の免許を取得しました。頑張っていたんですね。
★5泊6日で、韓国・全州に、呉基順神父を訪問しました。コルベ神父の長崎時代に入会して、コルベ神父から直接に哲学を習った司祭です。後、ローマに留学して、ポーランドへ行きましたが、母の願いで韓国・教区の司祭に変わり、韓国の大神学校で、教授を勤めて、その後、引退していました。コルベ神父の思い出を聞きに行ったのです。「師匠は聖人になられたが、自分は凡人だよ」の言葉が印象に残っています。
★この年の夏、長崎大水害が起こり、299人の死者・行方不明者が出ました。聖母の騎士のルルドが大打撃を受けました。この年、シスターのためのオラショの旅や、その他、5組のオラショの旅(208人が参加)を案内して長崎・五島を巡礼しています。こうして並べてみると、いろんな事を行なっているんですね。
★経験から感じる事は、信仰とは「みせつり」として事態を受け入れる事だと思います。病気や、不具合になった時、全力を尽くして改善します。しかし、どうしても良くならない、動きがない時には、これを「みせつり」として受け入れる。神と共に、イエスと共に、苦しむ。それが信仰ではないでしょうか。「十字架に至福あり」とは、困難ではあるが、苦しみを、神への喜びに変える、その心情だと思います。そういう気持ちが、おぼろげながらも、その頃、あったのでしょうか。
★湯江教会では、昨夜から、年の黙想が始まりました。3日間、つづきます。説教師は長崎・修道院の山口神父さまです。

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