2018年3月26日月曜日

修道士は語る。浦上の信仰の原風景。聳える天主堂

修道士は、神学や聖書を専門的に学んでいないから、教える能力は、ありません。ただ自分が生きて、体験した事、平凡な中の信仰を語ります。
★ホームに入って、4年半。静かで、単調だが、今年になって良い事が幾つかあった。1月に、ポーランドから勲章を貰った事です。平凡な修道士が勲章を貰えるはずがない。確かに推薦者が居る?ブリ神父さまです。そう信じている。(と言うと、ブリ神父は、しきりに、イヤ、イヤと、首を振っていた)。次は、3月で、90歳になった事です。皆さんからお祝いを受けた。そして今日は皆さんと出会えている。これもお恵みです。
★私の初めての信仰体験は、北朝鮮の港町で、小学生の頃、ただ1軒のカトリック。他の児童は総て、仏教。何故、私だけがカトリックなのか、小さな胸を痛めた。特に歴史で「キリシタン成敗」「島原の乱」など出てくると、学校へ行きたくない。母は熱心に信仰を守っていた。祈りは欠かさない。★旧制中学の受験のとき、筆記、体力試験も終わって、口頭試問になった。当時は軍国主義の時代。天皇は神さま。「君は、キリスト教だね、天皇の軍隊と、キリストの軍隊が戦争をしたら、どっちに付くか」と問われて、少年は、棒立ちとなる。彼は思い切って、答えた。「キリストの軍隊に付きます」。合格となった。今、考えて、合格を与えた先生は、「合格だ」と叫びたい。
★13歳のとき、母の里、浦上へ帰る。「見ろ、20年の歳月をかけてレンガを1つずつ積み上げて建造した大天主堂が聳えているではないか」。周りには1万2千人の信者が居た。天主堂の内部は、今のような机がない、板張りだった。男子は、左側、女性は、右側。ベールの姿が美しい。
★毎土曜日の夜には、近所の信者が集って「サバタ(土曜)寄り」が行なわれた。ロザリオを唱えて、死者の為に祈り、祈った後はお茶・菓子が出て、死者を語り、会話を楽しんだ。テレビの無い時代だった。親は、子に言う。「祈りバ、せろ。スラごと(ウソ・偽り)クルより、ロザリオ、クレ。善業バ、せろ。犠牲バ、せろ。貧しい人に食事を与えよ。死者の為め祈れ」。もう1つ、オマケがあった。「神父さまを大事にせろ」。浦上の信仰の原風景であった。
★母は、15歳の私を、聖母の騎士のルルドへ連れて行った。母から、ルルドへつながり、ポーランドの修道士につながる。コルベ神父につながり、ブリ神父にもつながった。
★信仰とは、「つながり」だと、私は思っております。
★ところが、この世は、思いがけない事が起こる。あの大天主堂が、一瞬の内に崩壊し、信徒1万2千人の内、8千5百人が亡くなった。人生には、時として、「どん底」に落ちる。その時、如何に生きるべきか。大きな課題がある。