2017年10月30日月曜日

愛は、いつまでも枯れることはない。喜びのご縁

この世で一番大切なのは「愛」と「いのち」です。愛と、いのちは、神さまから出ているからです。
★久しぶりに、ロザリオ祭に参加して、聖コルベ館に入り、「聖コルベの居室」を見ました。聖コルベは五年間、この素朴な部屋で生活しました。右側に、ベッドがありました。ベッドは残っていませんが、ワラを敷いて、眠りました。部屋の係だったセルギウス修道士は、毎朝、ベッドのワラをほぐして、軟らかくしました。するとコルベ神父は「私が犠牲をするのを妨げないで下さい。ワラはそのままにして下さい」と願ったそうです。肺病を病み、この部屋で、永井医師から診察を受けました。長崎に上陸した後、大浦で一年間仮の修道院を設け、日本の宣教は六年でした。その後、アウシュヴィッツでの身代わりの愛の殉教が待っていました。「コルベ神父の愛は、いつまでも枯れることはない」
★コルベ神父が聖人になった年、1982年に生まれ、「マリア・コルベ」の洗礼名を受けた女の子が、母親となり、ご主人、俊雄さん(アシジのフランシスコ)と五人の子どもさん達が、ロザリオ祭に来て、私と出会いました。私は彼らをコルベ神父の資料館に連れて行った。聖コルベの身代わりの場面のビデオも見せました。
★帰りの車の都合もあり、彼ら家族と早めに別れましたが、今日、電話でお母さんに「その後、どうでした?」と聞いた。ビデオの後で、長男・小6の子は、洗礼名がコルベだから、興味を持ち、色々と質問をしたそうです。「どこの国か」「なんで、そうなったのか」「なぜ毒殺されたのか」。ミサの後で、皆さんに、お土産のご像と聖母のカレンダー、小さなペットポトルに入った「ルルドの水」をもらいました。小6の男の子は、それを飲んでしまって、家族でルルドへ上り、小さなポトルに水を入れた。ご主人は、自分の霊名から、コルベ神父と「つながり」があると喜んでいた。この後、原爆資料館を見て、町を走る電車を楽しみました。夜遅く、下関に帰ったそうです。
★長い人生で、この家族との出会いは、私にとって記憶すべき出来事となった。今日もその余韻は残っている。電話で、喜んでいるお母さんの声が聞けた。

1 件のコメント:

  1. 小崎さん、わたしも小崎さんにお会いすることができて嬉しかったです!また聖母の騎士会創設100周年という記念すべき日、聖母の騎士修道会でごミサに授かることことができて良かったです!コルベ記念館で小崎さんに会えたことは子供たちにとってもとても思い出に残ることと思います。ありがとうございました!これから寒い季節になりますがお体を大切におすごしくださいね!度々、私たち家族のことをブログにあげていただきありがとうございました!うれしかったです!

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