2015年6月25日木曜日

一声かけてくれる、ダイジョウブ、か。うれしいな

先日、ドライブに出かけた「はすの花」です。きのうは苦しい半日だったが、なんとか乗り越えた。これから先、どのように、なるのか、わからない。昨夜は、ゆっくりと眠った。眠るのが、いちばん楽しい。今朝は、すがすがしい気持ちだった。下着に、上も、下も、血がついていた。普段は、下着の洗濯は自分で行なっているが、きょうは量(7枚)が多いので、洗濯の職員さんにお願いした。★パソコンを開いていると、高原修道士が、「どう、ですか。ぐあいは?」と戸をあけて、のぞいた。「ウン、だいじょうぶ」。昨日は洗礼者聖ヨハネの誕生の祭日で、高原修道士の修道士名のお祝い日でもあった。彼にとっては特別な日なのに、修道士に特て別は無い。半日は、病院で、長い時間、待たせお世話になった。車の運転もしてくれる。ありがたい。いまは高原さんが頼りになっている。★「修道者には家族が居ない。ささげ尽くしているから、修道者お互いが面倒をみる」。原爆の当日、「助けなかった」「逃げた」。その体験の原点から、その人にとって「隣人とは、だれなのか?」。自分の人生を暮らす中で、絶えず、貫いてきた言葉は、これだった。「隣人とは、だれか?」。よきサマリア人はどこにいる。ここまで書いたとき、「トン、トン」と戸をたたく音がした。「洗濯物、できましたよ。ここに置いておきますからね」。早ーャい。

3 件のコメント:

  1. マリア・フランチェスカ2015年6月25日 14:40

    昨夜は熟睡できて良かったですね。
    高原修道士様にはいつも感謝ですね。
    よき隣人に恵まれ小崎さんはお幸せです。

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  2. こんぱんは。昨年の6月26日は鳥取においでになった日です。もう一年というかまだ一年というか。ところで良きサマリア人の話が出ましたが、このサマリア人は傷ついた人や困難な中にいる人に対して常に親身になっていたと思います。たまたま今回だけ良いことをしたのではなく、良いことをするのが当たり前で身に沁みついていた方だと思います。皆がこうであれば諍いは起きませんね。このサマリア人の生き方が好きです。

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  3. 訂正。明日の6月26日という日は、小崎様が昨年鳥取においでになった日です。

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