2015年6月17日水曜日

なぜか、母親の着物姿を載せました。若くして被爆死

なぜか、母親の姿を載せた。今年は原爆70周年になる。母親が爆死して、70年になる。命日は原爆落下の日だった。無残な日と共に、母のことは忘れることが出来ない。行方不明で、遺体も見つからなかった。さびしかったよ。どれだけ泣いたことか。それまで母親に、甘えて育った日々だった。「かあちゃん」と呼んでいた。父は早く病死した。兄弟は、いない。母と2人での寂しい暮らしだった。父が亡くなったとき、母は、35歳。自分は、7歳。母が、着物を着て、よそ行きの格好をすると、「どこか、遠くへ行くのでないか。再婚するのでないか」。心配で、悩んだ記憶もチラ、ホラ、アタマの隅に残っている。働き通しの母だった。戦争中、食べ物のない時代に、苦労した行動を思えば、胸をしめつける。あれから10年後に、45歳で亡くなった。戦争さえなければ、原爆さえなければ、まだまだ長く生きていただろうに、母が痛ましくてならない。母からもらった命。まだ、つながっている。「かあちゃんの血と心は、生きている」。自分の中にあるうちは、母はまだ生きているのだろう。そう思いたい。母からもらったなかに、カトリックの信仰がある。ロザリオも残した。聖母の騎士のルルドへ連れて行ってくれて、マリアさまを示したのも、母だった。「マリアさま、この子をお頼みします」

3 件のコメント:

  1. マリア・フランチェスカ2015年6月17日 20:08

    天国でいつもお母様は
    小崎さんの為にお祈りしておられることでしょう。

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  2. 元日のエリザベット2015年6月18日 7:46

    マリアさまに息子を託した母の願いは、
    聞き入れられましたね。

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  3. 「祈り」は聞き入れられたからゴールではありません。
    そのことを通して神さまを賛美し、その憐れみ深い愛に
    光栄を帰さなければ意味はないのです。

    無原罪の、天のお母様は他の誰よりもそのことを、
    地上の子供たちである私ども、ひとりひとりに指し
    示しておられます。

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