長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2015年6月22日月曜日
父の日に、思うは、父のこと。ふるさとは、どこですか
たった1枚の父・母の写真。これ以外に父の写真はない。原爆で、すべては消失した。親戚の家に残っていた貴重な1枚だった。「ああ、父とは、こんな人か」。想い出せない。7歳のとき、病死したから、記憶に父の姿は殆どない。北朝鮮の町で、胆石と言う病で、手術もできず、亡くなった。46歳だった。家の近くに海があって、防波堤が伸びていた。父といっしょに散歩したことを、かすかに覚えている。厳しい教えを受けても、父は懐かしいだろう。自分にも、何か記憶が有ったらな、と思う。子どもの頃に、親から、スケートや、水泳、将棋も・・・習わなかったことを後悔している。★きょうはホームで、「コールス」といって、20人ほどが集まって、女性職員さんから、童謡を歌い合った。幾つかの歌を取り上げたが、その中に「ふるさと」があった。職員さんが、1人、1人に、「ふるさとは、どこですか」「ふるさとの、いいところは何ですか」と質問した。皆さんの反応が結構、楽しかった。上五島の人もいる。地元の人もいる。佐世保や、島原の人もいた。「いいところは?」と聞かれて、島原の人は「雲仙岳」と答えていた。自分にも順番がまわってきた。「外海です。いいところ?、海がきれい。夕陽が海に赤く沈む風景がすばらしい。有名です。車や、ツーリングで、楽しみに来る人たちがいます」。★外海は父の生まれた村。場所は集落の峠で、近くに遠藤周作文学館が建っている。外海の父と、浦上の母が、どういうロマンスがあったのか、肝心なことは聞いていなかった。惜しいことをしたと思っている。「ふるさと」の歌、いいですね。
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きっと天国で、このようにお二人寄り添っていますよ。
返信削除私の両親もそうです。
天国で出会い易いように、名前をクララと
アシジのフランシスコにしました。
だって地理的に近いでしょ、この二人。
「ふるさと」の作詞は岡野貞一氏で鳥取の方です。「あかとんぼ」の三木露風の母は碧川かたという方で鳥取城家老の娘さん。「あかとんぼの母」と呼ばれています。いま「鐘は既に鳴れり」という碧川かたを描いた作品を読んでいるところです。七月に教会の近くに碧川かたの顕彰碑が建ちますよ。「大黒さま」の歌などをはじめ鳥取は「童謡のふるさと」と言われています。
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