2013年8月30日金曜日

黙想・5日目。告白は、あの司祭にしよう。来たッ、その人が

黙想の家・聖堂の「祈るキリシタン」。この前で、祈りました。黙想も最後に近づいた。きょうは、告白をしよう、と朝から決めていた。講話の司祭も居られる。会の司祭も、10人も居る。誰に、告白しても、いい。自由に出来る。告白を頼むのも、チャンスが要る。聖堂に、来てもらうからだ。それでも告白は、黙想の最後には、必ず行なう。いろいろ考えて、あの司祭に頼もうと、決めた。午後、休息の後で、講話の30分ほど前に、余裕をつくって、聖堂へ行った。2人の司祭が黙して祈っていた。しばらく、すると、音がして、もう1人の司祭が入ってきた。チラッと、見ると、なんだ、あの意中の司祭ではないか。ヒザまずいて、ロザリオを唱えている。運よく、2人の司祭が、次々に出て去った。すぐ立って、声をかけた。「告白、お願いします」。なんで、こんなに、うまく、事が運ばれるのか。1つの恵みを感じた。神さまが、ちゃんと、準備してくださる。ご配慮を強く感じた。告白台へヒザまずき、心中を順々に述べる。司祭は又、順々と諭した。告白での語りは秘密で、公にされないが、次のような気持ちを感じた。「足りないところ、神さまは、知っておられる。いただいた恵みを感謝するように、してください。騎士誌の記事は、読まれている。お恵みがあるから、感謝して、つづけてください」★司祭の講話。自分と神さまの、つながり。求めている。しかし個人だけが救われるのでない。隣の人も神さまに「つながって」いる。その救いをも、望む。教会の集うもの、救うのを神は望まれる。タテのつながりの熱心さに、ヨコのつながりも大事です。共同体に求められるもの、「共感力」です。自立は、教育でも大切だが、本当の自立は、共感するチカラを育んでいく。神が人となられた、これも共感力でしょう。