2013年8月28日水曜日

黙想・3日目。今の世は、隣の人を真に理解するのは、難しい

子どもの時から教えられた信心は、「いのりバ、せろ」「スラごと(偽り)くる、より、ロザリオ、繰れ(くれ)」「善業バ、せろ」「犠牲バ、せろ」「死者を想え」。それに、もう1つ。「神父さまバ、大事に、せろ」でした。「祈りや、善業をすると、天国にタカラを積む。煉獄の霊魂を助けます」と教えられた。単純に、そう信じて、せっせと、カラダを動かした。こんにちでは、「個人の信心だけでは足りない。共同体で、隣人の救いに活動しなさい」と言われる。確かに、そうでしょうが、でも、どうしても、個人の信心は捨てきれません。講話の司祭は言う。「隣人を(近い人)を愛しなさい。遠い人ではない。近い人、隣の人、これを愛するのが、むずかしい」。現代は、マンションに住んで、隣の部屋が、誰かも分からない。孤独死しても、数日は分からない。そういう時代に生きている。真に理解し合った隣人になる。これは、ひじょうに、むずかしい。受難であり、十字架でも、ある。★神と共に居る。イエスは「共に居てほしい」と願っている。講話の司祭が言った。「ある老人が居てね。仕事へ出かける前に、教会へ寄って、末席で、じっと前を見つめて、しばらく黙っている。教会を出て、仕事へ。帰りに又、同じことをしている。少年が聞いた。おじさん、何をしているの?わしはな、神さまが、わしをジッと見つめて居られるので、わしも、ジッと見つめておるのだよ」★病気のとき、孤独のとき、主は、ここに居られます。