2019年11月25日月曜日

号外が出た。パパさま長崎へ。鎮魂の黙祷。歓喜の平和のミサ

「みどり」さんの、日記に寄せられたコメントで知った。パパさまが長崎に来られて、松山町の県営ビッグNスタジアムで、ミサを行なわれた日は、2008年11月24日に、同じスタジアム会場で、「ペトロ岐部と187人殉教者」の列福式が行なわれた日だった。この摂理的な一致に、神の大きなお恵みを感じた。
★この日にちの一致のことは、この日、沢山の報道がなされたが、全く注目する者は居なかった。「やはり、神は、黙って、おられる御方では、ない」。あの列福式に参加した喜びと感動を忘れない。この度、パパさまが長崎へ来られた日が、列福式と同じ日とは、不思議さに、胸が熱くなる。
★このミサには、身体の都合で参加が出来なかった。ホームの入居者は4人が参加した。湯江教会は、ホームや、他の信徒も交えて、合わせて53人が、パパさまのミサ・祭壇の近くの席を与えられて、感動の祈り、歌を捧げた。新聞の号外も出る。夕方、高原修道士さんが自室に持って来た。
★今朝、湯江教会のミサの後で、男性の1人が喜びながら「孫が、ね。パパさまから抱かれて祝福をいただいたよ」と、ほほ笑みながら私に伝えた。「よかった、ね」。確かに、参加者には、それぞれの恵みのドラマが有っただろう、と思った。
★私は、被爆者としても、パパさまのお言葉を聞いた。「核兵器に、平和は、ない」。パパさまが、雨の降る中、原爆落下中心地で、鎮魂の花輪を捧げ、頭を垂れて祈り、しばらくすると顔を上げて、目が少しだけ左右に動いた。また頭を垂れて、黙して祈られた。その間、テレビに「1分40秒」と数字が出た。長い祈りであった。パパさまの黙祷の祈りは、うちの母親にも届いたろうか、そんな思いが、瞬間、アタマをよぎった。
★一方、この日、東京・丸の内では、「ポーランド・フェスティバル」が行なわれていた。私の協力者の野々村哲さん、塩沢美樹さんが出向いているので、会いに行ってください、と日記に書いたら、効果があった。多数の人が声をかけて下さった、と喜びの声で携帯に知らせが入った。2人が帰ったら、詳しい内容が聞けるでしょう。訪ねてくださった人たちに感謝します。ありがとう。

4 件のコメント:

  1. パパ様のお話のなかに三度も「パウロ三木」という名が出て来たとか。西坂の二十六聖人記念館で初めて十字架上より説教するパウロ三木の像を見た時は稲妻に打たれたように感じました。ペトロ岐部はインドのゴアからローマまで三年もかけて歩かれた。司祭に叙階されて日本で布教したいという情熱が三年歩かせたのですね。私はただひれ伏すのみです。今回パパ様に会うことは叶いませんでしたが「ペトロ岐部と187人の列福式」でのあの感動を誰かに伝えたいです。

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    1. パウロ三木は、イエズス会の修道者でした。誇りに、思われたのでしょう。

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  2. 野々村さん・塩沢さんにお会いしてきました。不思議なことに初めて会った感じがしない、とてもフレンドリーに接してくださり感謝です。私たちのつながりは『トマさんのことば』からです。そして今日の東京ドームでの御ミサにも『トマさんのことば』を携えていきました。トマさんのお母様にもパパ様のお声が届いていると思います。クリスマスまであと1か月です。心を込めてお祈りします。お身体を大切にしてください。

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  3. 会場に行ってくださり、野々村哲さん、塩沢美樹さんに、会って下さり、ありがとう。2人に会って、その時の話を聞くのを楽しみにしています。

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