2019年11月18日月曜日

3日前に来た小夜子さんからブドウ。99歳お母さんの信仰

3日前に、3人の女性がホームに面会に来た。その中の1人、小夜子さんから、大きなブドウ・ピオーネが届いた。ブドウは好物です。喜びました。
★小夜子さんは、あの時、「赦し」が最も難しい、と言った。あの「赦し」は、心に残っている。あまりにも赦されぬ出来事が多い。社会の事だけでなく、家族にもあるだろう。小夜子さんは「祈って、祈って、時間が経てば、乗り越えられる」と答えた。そうかな、と思う。「赦しますが、忘れない」。こう言う人もいる。小夜子さんは、「忘れてしまう」。そこまで達しなければ、本当の「赦し」にならない、と言葉を残した。ムズカシイな、と思う私に、ピオーネが届いた。
★実は、小夜子さんのお母さん、クニ子さんに、大変お世話になっている。99歳で元気にしています、と小夜子さんが写真をくれた。最近の写真で、押し車で歩けるという。
★私が原爆で孤児になり、修道士になり、それでも寂しかろう、とクニ子さんは応援してくれた。私の母の姉、伯母さんも浦上で、よく知っていると言った。その「つながり」も聞かせてくれる。「同じ、浦上のモンじゃ、もん、な」。私の母も浦上出身です。
★クニ子さんは、浦上で、近所の女性たち、15,6人を、毎月『9の日』(原爆が落ちた8月9日の9の日です)に寄せ合って、各々家族の死者のため、ロザリオの祈りや他の祈りを捧げていた。「自分たちが生かされているのは、死者のため、祈りの務めがある」。それが信念だった。ロザリオの後で、各人が、家族死者の霊名を言う。例えば、「聖パウロ」とか「聖ミカエル」、「聖マリア」「聖アンナ」など、家族の霊名を3、4人あげると、「我らの為に祈り給え」と、皆が応える。そういう習慣を踏襲していた。私も何度か集会の祈りに参加した。
★クニ子さんのお宅は、浦上の高台にあったが、今はマンションにお住まいという。なつかしい、その浦上信徒の信仰を思いながら、きょうはピオーネを冷蔵庫に収めた。後のお楽しみだよ。

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