2017年11月15日水曜日

ある日の電話。手紙も来る。赤岳・出身の女性から

突然、廊下のスピーカーで名前を呼ばれて「電話です」。自室に近くに電話機がある。女性の声。「被爆65年、2010年の原爆の日に、浦上天主堂で、『焼けたロザリオ』を買い、何々様とサインも頂いた。懐かしくて電話した」
★確かに覚えがある。浦上天主堂の庭で、修道服を着て、『漫画・焼けたロザリオ』の販売を行なった。自伝の漫画で、主に原爆体験と、コルベ神父も描かれている。東京の漫画家が描いた作品である。
★それにしても、急に電話で一方的に言われて、当方、アタマの切り替えが出来ず、戸惑った。「サインして頂いたのが嬉しい。今も本を手元に置いて、親しんでいる」という。電話は、それで終わった。
★しばらくして手紙が届いた。「私は、長崎・赤岳の生まれです。戦後は聖フランシスコ病院で看護師として、秋月先生の元で働きました」。外国人院長シスターの名前も書いていた。トマも秋月先生はよく知っている。診察も度々受けた。
★更に心引いたのが、『赤岳』だった。外海へ行く途中に、樫山集落がある。ここが昔は隠れキリシタンの里だった。樫山に赤岳はあり、キリシタン聖地と言われた。浦上のキリシタンたちは、密かに岩屋山に登って、遥か赤岳の方向を眺めて祈った。ここで3度祈れば、1度は樫山の巡礼になる。3度樫山に巡礼すれば、1度はローマに巡礼した事になる。そう信じて、憧れながら密かに祈った。『焼けたロザリオ』のこのページに心引かれたのだろう。手紙には、こう書いてあった。「先生の本には、樫山の赤岳、聖フランシスコ病院となつかしく私の大切なご本です」
★私は返事を書いた。「赤岳、樫山」に付いては、自著の『長崎オラショの旅』の241ページから詳しく書いていますので、買い求めて読んでください」。今では書けない特別な記事になっている。自慢の作でもある。それにしても、7年前に買い求めた1冊のマンガが、いま電話になって、手紙になって身元に来るなんて、その「つながり」のお恵みに感謝した次第です。赤岳・女性の信仰の継続を祈ります。