2015年10月21日水曜日

信仰とは、キリストを生きることです。それが難しい

昨日の午後、久しぶりに庭に出た。そのとき、撮ったスナップです。ホームの入り口の木陰に座って、ぼんやりとホームを眺める。青空に伸びるのは、サクラの木。葉が音も無く落ちて、寂しそう。冬支度を始めているのか。
★しばらくすると、3、4人の職員さんが通った。挨拶する。その中の1人が、「トマさん」と声をかけ、小さなミカンを差し出して、「食べて、みんね。甘いよ」と手に持たせて、去って行った。急に「トマさん」と呼びかけられたのが、うれしかった。思いもしない呼びかけだった。「トマさんに、ならんと、いかんな」。そう思った。
★午前中は、整骨院へ行った。送り迎えしてくれるので、率先して車に乗った。「調子は、どうですか?」と、女性のマッサージさんから聞かれる。「ええ、まあ」と言い、今日は、「いいようです」を付け加えた。電気で両膝を温める。少しでも効果があれば、それでよい。
★朝、ミサの前に、「毎日のミサ」の本で、囲み記事があって、「教皇のことばから」が目にとまった。
★「信仰とは、主がわたしたちに与えてくださった、キリストとの交わりです。それゆえ、この交わりは、いのちとなり、わたしたちをキリストに似た者にする。信仰は、本物であるなら愛となり、愛のわざとなる」。教えられてきた信仰は、本当に、それだった。信仰と、愛と、希望。実践は難しいが、信仰とは何か?と、模索している心に、何か、まとまったものが見つかったような、一条の光が差し込んだ思いがした。