2015年5月29日金曜日

生かされているのが基本だが、生きる負の荷もある

朝食が終わると、すぐ入浴があった。介護のヘルパーさんの世話になる。お手数かけて、すみません。風呂に入ると、自室は風通しがいいので、つい、うと、うとと、眠たくなる。★午前中、園内の廊下を散歩する習慣だ。1階と2階を回れば、結構な歩数になる。廊下の途中にソファーがあって、新聞、雑誌が置いてある。時には、近くの部屋の女性たちと話し込むこともある。一番の高齢者は、98歳のカトリックの女性で、足腰しっかりしていると聞いた。うらやましい限りです。★自室に戻ってから、パソコンに向かう。午前中に、何かを書きたい。昨年の今頃は、何を書いているのか、長崎の白浜さんが届けてくれた「トマさんの日記」(「A4」紙に起こしてファイルに収めている)を開けてみた。いつぞや、鹿児島から長崎へ来たついでに、ホームに訪ねてきた女性がいたが、ちょうど1年前の5月に聖コルベ館にも来ていた。そのとき女性が言うには、今でも覚えている。「神は愛である。この言葉が好きです」。しっかり、強調していた。★「神は愛なり」と言えば、昨日の日記に、大槻霊父のバラを載せたが、思い出した。聖コルベ館に、この教団の信者が巡礼に来ると、彼らの一行は、「コルベ神父の居室」に入り、祈りを始める。その後、皆さんが一体となって、「神は愛なり」「神は愛なり」と唱えだし、それだけの言葉で、ますます声が高潮し、涙も混じるような、大きな信仰の体験となるのだった。信仰の感動は、こうした積極性にあるのかも知れない。「神は、愛なり」。深い言葉です。言い易くて、悟り難い。きょうは午前中に、そんなことを考えた。信仰の基本ですが、わかるには特別なお恵みがいります。