2015年5月24日日曜日

人は見ていなくても、見ている御方がおられる

廊下を歩く。職員に会うと、「お疲れさま」と声をかける。廊下を歩くのは、午前中の日課です。階段から2階に上がると、廊下が明るくなる。廊下に添って、カウンターがあり、マリア像が立っている。「パッと、目についた」。前方、押し車の女性が、腰をまげながら、マリア像の前に手をつきて、ジッとして動かない。なにやら祈っている感じがする。しばらく立ち止まって、眺めた。何を念じているのか、わからない。カトリック信者なのか、そうでないのか、わからない。だが感動しますよ。ただ、黙して祈っている。「誰も見ていない」と本人は思っているが、静かに、うしろを通り過ぎた。隠れたところを、見ている人がいる。マリア像の足元には、かって、このホームで働いていた司祭とシスターの小さな写真が置かれている。腰をまげて、黙して祈る姿は、いまも印象的に残っている。見ていない所にも、こころ温まる光景がある。「目を与えた方が、見ていないことが、あろうか。耳を与えた方が、聞いていないことが、あろうか」。そのよう言葉が「教会の祈り」の詩篇にあった。「隠れた所から、隠れたものを見ておられる」御方がいる。人間は、それが理解できるのです。「お疲れさま」