2015年5月22日金曜日

世話をした者が、いまは世話される人に変わった

車で、30分。山茶花(さざんか)高原へ、10人ばかりで、歩け、歩けの運動にでかける。最近は、歩くことに自信を失った。普通に歩いて当然と、何も感じなかった日常がうらやましい。歩けることが、いかに普通じゃなくて、大きなお恵みであるか。いま、手押し車や、車椅子が目につくようになって、瀬戸際を歩いている感じる。山の広い公園には、誰も人がい
ない。★この近く、椿原の学校に勤めていた頃は、小・中学生たちと、よく遠足にきていた所だった。あの頃は走った。寝転んだ。たわむれた。遠い、思い出の場所でもある。しかし、そういう経験があることは、胸に収めて、参加者には何も語らなかった。ただ、黙々と、歩くことに、努めた。からだが、ふらふらする。★むかしは世話を焼いていた者が、いまは、世話をされる側に変わた。その変化を受け入れることから、生活が始まる。歳をとるとは、そういうことか。