長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年9月5日水曜日
入院9日目。鳥取から夫妻が見舞いにきた。20世紀の梨
鳥取に、毎日、日記をみてくれる『みどり』さんがいる。「読者になる」の第1号でもある。いつぞや、鳥取に旅して、お世話になった。砂丘にも、案内された。また鳥取には、泌尿器科のお医者さんで、中村先生がいる。熱心なカトリックの医師だ。先日、ベッドから、中村お医者さんと、40分も、病状について話した。鳥取には、他に、土橋夫妻がいる。『みどり』さんから電話があって、「近々、土橋さん夫妻が、九州へ行くそうよ」と教えた。心待ちにしていたら、土橋さん夫妻が、『20世紀の梨』を、重たいのに下げて、見舞いに現れた。この夫妻との出会いは、こうだ。鳥取の教会でミサで祈ると、白い修道服を着て、リズムに乗せながら、大きな体で、オルガンを弾くベルギー人修道士がいた。その姿に、妙に、心引かれた。鳥取には、珍しく、3人の、福祉で活躍する修道士(2人は、ベルギー人)がいるそうだ。「遠い異国から来て、修道士たちが、よくぞ、がんばるなあ」と感心した。「彼らの、修道院を訪問したいな」と、思っていたら、「いい、ですよ」と、連れて行ってくれたのが、土橋さんだった。彼の車にお世話になる。小さな修道院に入ると、オルガン修道士とは別に、ベルギー人修道士が案内してくれた。修道院の壁に、ラテン語で、「与えよ、されば、与えられん」と書いてあったのを、忘れない。「長崎には、修道士も多い。見慣れていますよ。それが鳥取の、日本海に面した、人の目に触れない場所で、ひっそりと、神の愛を実践する。キリストの心で生きている。すばらしいことじゃ、ないですか。感動ものですよ」と言いつつ、あの時は土橋さん夫妻に、別れた。「おお、久しぶりだね」と、しばし語らい、「旅する夫妻よ、長崎・信仰の心を、みやげに持って、帰りなさい」
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