朝、ミサを祈った後、師父聖フランシスコの祭壇で、祭日まえの9日間の務めを果たしている。父なる聖フランシスコは、神の声を聞いた。「主人に仕える方が、いいか。下僕に使える方が、いいか」。もちろん、主人です。「教会を、建て直しなさい」。見回すと、その教会は廃屋寸前だった。よし、修復しよう。しかし神の願いの修復は、教会を立て直すことだった。聖フランシスコは、しっかり立ち上がった。選んだ道が、清貧。貧しさ。小さき兄弟になること。ご聖体を礼拝すること。司祭を尊敬すること。平和への道を進んだ。10月4日に、アシジの師父聖フランシスコの祭日を迎えます。17歳で、聖母の騎士のポーランド人修道者のなかに飛び込んだ少年は、フランシスコ会とは全く知らなかった。後で、フランシスコの貧しい生き方、動物も、水も、空も、小鳥も、兄弟、姉妹よ、と両手を広げるフランシスコに心を引かれる。アシジにも、何回も巡礼し、ある年は、10月4日の祭日も、現場のアシジの大聖堂で過ごす恵みも得た。少年は修道士になったが、当時は修道士は学問はさせない習慣だった。少年はサムエル管区長に頼んで、勉学の許可をもらった。通信教育で、6年かかって、卒業し、教育免許も取得した。通信で学ぶのは、大変な困難がある。500人ほど入学し、歴史学部の卒業は、30人程度だった。そのときの卒論が『サリンベーネの年代記』だった。フランシスコの時代に生きた修道士だが、彼が残した記録には、信仰のことの外、社会の情勢や、暮らし、政治、軍事など、興味深い記録を残した。67歳で没。今でも、なんだか自分に似ていると思っている。
お元気ですか?ご無沙汰してます。またそのうち行きます。
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