昨日の、教会のなかでの、敬老のお祝いと、祝福です。手前にあるのが、プレゼント。一番、前の席で、参加しました。「ゲンキですよ」の、アピールです。病院から、修院へ帰って、ペースに乗るために、時間がかかりました。寝汗をかいたり、カラダが熱くなったり、それが、やっと治まったようです。今朝は、この教会で、アシジの聖フランシスコの聖痕の祝日を、ミサのとき、祈りました。十字架で苦しむキリストを熱望するあまり、聖フランシスコも、5つの十字架の傷(しるし)を受けたのですね。私は今朝、思いました。病気のとき、考えていた。あるいはニンゲンは不安のとき、死ぬかも知れないと思うほどの恐怖のとき、考え、祈る。「主よ、あなたは、ここに、ソバに居られましたか?」と。今朝、まだ、こだわりの思いが浮かびました。確かに、主が、共に、居てくださったら、いちばん、心強いのです。恐れるものは、ないでしょう。それが信仰でしょう。主は、確かに、あなたと共に、ソバに、居てくださる、と言われます。ところが、今朝の、聖痕の福音で、次のように理解する文章を読みました。「わたしは、キリストと共に、十字架につけられた」「キリストこそ、わたしのうちに、生きておられる」(聖痕の祝日ミサのアレルヤ唱・ガラティア2・19・20)
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