2012年8月14日火曜日

聖コルベの祭日。友のためにイノチささげる者になる

聖マキシミリアン・マリア・コルベの祭日です。聖母の騎士の教会で、記念のミサがおこなわれた。シスターや信徒が共に祈った。聖コルベを思うとき、幾つかの聖コルベ・ミステリーがある。①計らずも殉教の日が、聖母の被昇天の祭日の前日だった。マリアに全てを奉献し、聖母の道具、騎士として生きた聖コルベにとって最も嬉しかったであろう。②聖コルベは、なぜ友のために命をささげたのか。それは先に、ささげた人が居た。イエスである。聖コルベの生きる目標は、イエスに似たも者となる。その通りに、友のために命をささげ、餓死の地下室で、裸で、われ乾くといって、全く似たものとして殉教した。③聖コルベの最後の苦難は、餓死室で、9人を天国へ送った後で、最後まで生きた。④所長に、『司祭です』と宣言して、人生を終わった。これらを思うとき、聖コルベに、どうして、そのような生き方が可能だったのか、考えさせられる。勇気か、聖なる決断か。コルベ神父を語る難しさがある。友を愛そう。敵を許そう。などと言っても、手垢がついた言葉では、誰も感動しない。心から、心へ、ホンネで語るか、どう捕らえるか、伝える難しさがある。

1 件のコメント:

  1. 三橋 理江子2012年8月14日 19:35

    聖コルベ館に行ってから・・・17歳の夏、長崎のコルベ神父、身代わりの愛を読み、毎日朝晩、ロザリオを唱えることを習慣にした。しかし、私とコルベ神父との距離は益々遠い!ロザリオの苦しみの玄義のイエスよりコルベ神父の方が苦しいとさえ思える。しかし、小崎さんは一言も弱音を吐くコルベ神父を書いてない!遠藤周作は作家の嗅覚で
    資料の中から人間コルベを探し出す。
    私の家庭祭壇には長い間、ポーランド土産のコルベ神父の絵が飾ってある。時々その視線から逃げ出したくなる。
    しかし、どうしてそのような生き方が可能だったのか生涯模索し続けたい。そして、コルベ神父の生涯は、人類にとっての希望であり、悪に対しての輝かしい勝利として永遠に刻まれることだろう。小崎様コルベ神父様の本を書いてくださってありがとうございました。またどんな小さなことでも何か気づきがありましたら、お教えください。

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