2019年12月11日水曜日

部屋を掃除するように、心も掃除する。母から受けた信仰、守る

毎水曜日には、介護の職員さんが、自室の掃除をしてくれる。狭い部屋だが、これでも1軒の家にあたる。生活用品が多々ある。掃除機をかけ、モップで拭き、1畳のゴザを白い布でこすってくれる。ご苦労さまと、心に念ずる。
★今朝は、降誕祭に向けて、司祭に告白して、心の清掃、準備をした。「もし、急に、事故や病気で死に、神の御前に出たら、何を問われるか」。そんな事を考えた。
★その時、思ったのが、「おまえは、(神の)愛を十分に体験したか、心に感じて生きていたか」。そう問われるのでないか。自分が、神に受け入れられる存在か、瞬時に分かるだろう。そのためにも、告白したい、そう思った。
★自分の人生、自分だけが、すべてを知っている。人には、隠している過去が多々あるが、神はすべてを知っておられる。存在するモノは、形は崩れても、無になる事はない。
★人間は、神から出て、神に帰る存在である、と信じている。神に戻るために、ふさわしい存在でありたい。心の奥には、そういう「流れ」が、どうしてもある。
★ただ、90も過ぎて、老いて来ると、考えが「自然的」になるのが、気になる。そこに、老いの悩みも出て来る。「自然的な考え」になって行くのは、仕方が無いのかも知れない。人は、枯れて行くのだから。母親から受け継いだ「信仰」は、これまで遺産として守ってきた。最後まで、つづけて守りたいと思い、告白台にヒザまずいた。

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