2019年7月20日土曜日

カシアノ修道士の逝去のメモが見つかった。祈り、炊事の人だった

カシアノ修道士について、トマが記憶しているのは、ポーランドでコルベ神父の修道院に入った日、コルベ神父から、炊事場へ行きなさいと言われて、炊事の担当になった。1932年、長崎へ来ても、炊事場の係りだった。コルベ神父は長崎に居た。
★トマが入会した1945年も、カシアノさんが炊事場で、食事のお世話になった。東京で働いたこともあったが、務めは炊事場係りで、最後は長崎県小長井町「みさかえ司祭館」でポーランド人修道者のために炊事場を務めた。
★最後の日、修道者のために夕食を作って、自分の部屋に入り、ベッドに横になって、その夜に、そのまま神に召された。カシアノ修道士は生涯、聖ヨゼフへ熱烈な信心を捧げていた。きっと、その夜、聖ヨゼフがカシアノ修道士を迎えに来たのだろう、と信じた。
★先日、聖コルベ館から、トマの日記の束をホームに持ち帰った。手帳・日記に、カシアノさんの逝去について記したメモを読んだので、正確な記録として記したいと思う。
★1988年、辰年で、トマは60歳。還暦の年だった。1月1日の元旦は、湯布院(大分県)修道院で「おせち料理」を食べる。2日に、小長井修道院(当時、ここが住所)へ戻った。カシアノさんの「みさかえ司祭館」は、300mほど離れた場所にあった。
★メモには次のように書かれている。「1月4日、夕食まで、兄弟たちのため、つくった。その後、不具合となる。ニコニコ神父(正式の名前は、ズビグニエフ神父=いつも、ニコニコしてるので、そう呼ばれた)が、医者を呼ぼうか、いや、いいでしょう。1月5日、午前3時、不具合となり、電話に、しがみついた。かける。ニコニコ神父、急いで、かけつけ、告白、祝福、病者の秘跡、聖体。半分に、しようか。いや、全部、大丈夫。医者が来た。ベッドに移し、医者が注射。だんだん意識不明となり、死亡した。午前3時45分、カシアノ修道士、死亡。85歳」
★1月6日、水曜日。カシアノ修道士の葬儀が行なわれた。60歳の時だったから、31年になる。墓地は、小長井修道女院にある。信仰と食事の面で、大きな恩があるかシアノ修道士さんのため祈った。

1 件のコメント:

  1. マリア・フランチェスカ2019年7月20日 16:45

    本当に貴重なメモです。
    カシアノ修道士様は告白、祝福、病者の秘跡、ご聖体拝領を全て受けられた後の良き死だったのですね。
    聖ヨセフ様のお取り次ぎを改めて知る事が出来ました。
    皆様に知って頂きたいです。

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