2019年2月25日月曜日

老いと安らぎ、平凡にも呼吸する、ふしぎな哲理をみつけたい

食事時。食堂の一番奥の食卓に、3人は居ります。
★右から瀧憲志神父さん、月に1度、1週間ほど長崎・聖母の騎士から宿泊に来られる大野幹夫神父さん、そしてトマ。皆、安心した顔をしているでしょう。ゆっくり食べて、一番遅いのが、この食卓です。急がなくても、いい。慎重に歩いて、感謝して食べて、皆さんに笑顔をあらわす、これがホームでの生活です。
★月曜、木曜は風呂の日です。今朝は、朝食後に直ぐ、入浴しました。トマも介護の風呂に入っています。1月のヤバイ入院・退院後は、独りで大風呂に入るのは止めました。湯の中で、倒れると危ないです。介護の風呂では、瀧神父さんと一緒でした。風呂が違います。トマは、シャワーで洗って家庭用の風呂。瀧神父さんは、シャワーで洗って、高台に横に座って、横のフタを上げて湯を入れる風呂。あわただしさはあるが、安堵感はあります。他人の手を借りるのだから、文句は言えません。辛抱も必要でしょう。
★ホームに居て、現在の狙いは、何処にあるのか。以前は、特別に目立つ人や能力がある人、珍奇な人、尋常では出来ない行為をする人、特別な山に登ったとか、海で何日も漂流して助かったり、日常茶飯事でない、平常ではない、特別な生き方をする人に興味があった。拍手喝采を送っていた。世間の目は、そこに集る。
★しかし老いた今は、平凡です。大した事も起こらない。だが、果たして、そうだろうか。ニンゲン、老いて、枯れて、何もないのか。わが身ことを考えても、いや、そうじゃない。老人も、何事かの出来事が起こっていると思う。
★人間には、肉体と、タマシイがある。肉体は衰えても、タマシイは輝いている。特別なことを成し得なくても、愛情もあり、小さな出会いもあり、しかも不思議に出会いは喜びに育つている。老いても、枯れても、苦しみを乗り越えるパワーもある。その根源はタマシイだ。それらの老いの生き方に、何か「立ち止まる哲理」があるのを知れば、一見、見落としそうな行為に、心はビビッとくるだろう。ホームに居ても、何かが有ると感じている。
★つまり、私が今、心を魅せられるのは、珍奇な出来事ではなくて、人の、ささやかな動作とか、ご縁とか、神の摂理と思われること、その中での喜び、悲しみ、老いの人生の生きザマ。それでも生きる意味がある。それでもタマシイがある。人生の根底というか、根本の哲理か、そのような底辺に、何かが有る、それを見い出したい気持ちがあるのです。
★勿論、哲理と仰々しく言っても、そう難しいことは論じきれない。老いてこそ「光る生きた知恵」とでもいうか。根底の所です。生き方の不思議というか。老人の中にも、老いてこそ光る何かが有るだろう、一条の、イデアを見つけたいと願います。
★「哲理」とは、辞書に「物ごとのおくぶかい道理」とあった。

3 件のコメント:

  1. 大野神父さま 1週間ほどいらっしゃるのですね(^^)皆さん お元気そうで良かったです。
    お風呂に入って スッキリして 笑顔が見れて良かった。トマさんも 瀧神父さまも大野神父さまも輝いてますよ。私たち家族も何か見つけなければ!ココナは笑顔が輝いてます。我が家の癒しです(^^)トマさんも瀧神父さまも大野神父さまもみーんな笑顔が素敵です。これからも笑顔でいれますように。トマさん 大好きです。ココナより

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  2. 本日、
    昭和に生きた修道者たち
    いただきました。ありがとうございました。
    さっそく拝見しました。感銘深いものがります。
    栃木県佐野市

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  3. 含蓄のある言葉が、眼に留まります。感謝!

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