2019年2月18日月曜日

故・坂本修道士の『いとこ』のシスターが来る。高原さんの恩人

高原修道士さんが、熊本で宣教するシスターを自室に連れてきた。休暇で、長崎へ帰ったという。93歳、お元気なシスターだ。シスターは、トマの顔を見るなり「坂本千一修道士の『いとこ』なの」と言った。「え?坂本さんの、いとこ。ちょうど、いま、写真集を出したところ、あげるから」と手に持たせて撮ったのが、この写真です。右側の写真が、カロロ坂本修道士です。
★シスターは長崎・原爆の被爆者。聖母の騎士のルルドや、修道士さん、神父さんにお世話になった。修道者たちから導かれた。それでシスターに道へと進んだ。「坂本千一修道士の『いとこ』なら、近い人だな」と感じた。
★写真集には、カロロ坂本修道士の見事な写真が載っている。修道院の一角に、つるべ式の井戸があった。炊事場担当の仕事をしていたので、よく、この井戸から冷たい水を汲んだ。写真集の説明には「軍隊の時は炊事軍曹。修道院でも炊事担当。大の巨人フアンで、負けると料理が一品減るという噂もあった」とある。
★人気者で、笑わせたり、冗談を言ったり、朗らかなのが、取りえだった。聖母の騎士で祝賀会があると、必ず、壇上にあがり、一曲披露した。それは得意の「替え歌」で、レパトリーも広かった。皆さんは喜んで、拍手喝采を送っていた。長崎勤務が多かったが、晩年は東京の修道院へ変わった。

★もともと心臓を病んでいた。何かの祝賀会で長崎に来たとき、「これが長崎は最後かも」と、こぼした。東京の修道院で、ある日、普段通り、焼き肉を食べて、一休みしたとき、急に心臓が痛くなる。苦痛の表情で思わず「イエズス、マリア、ヨゼフ」と口ずさんだ。それを聞いて、院長神父さんが「さすがに、長崎信者」と言いつつ、車で病院へ。入院となり、病室まで自分で歩いていく。ベッドへ腰掛けた途端、前のめりに息絶えた。苦しみの無い、うらやましい、72歳の死であった。
★高原修道士さんがシスターを連れて来たのは、彼が熊本に居たとき、シスターのお世話になったからだった。聖母の騎士へ入るのを勧めたのもシスターだった。高原さんは、カロロ坂本修道士は知らない。

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