2018年8月8日水曜日

原爆死の母の命日に、今年も北九州からお花が届く

原爆忌。原爆死した母親のために、今年も、北九州のお母さん「直美さん」と娘さん「衣里さん」から立派なお花が届いた。聖コルベ館に居たときも、ホームに来てからも、毎年、原爆前日に贈られてくる。もう10何年になるだろう。
★事の起こりは、衣里さんが小学6年生のとき、北九州から修学旅行に来て、私が原爆の語り部を努めたことだった。旅行の後で、感想の文集がきて、それに私が返事を出した。すると又、折り返し手紙が1通だけきた。それが衣里さんだった。
★衣里さんが中学生になったとき、2001年の正月、今年は毎月、100羽の折り鶴を折ります。10月18日が誕生日ですから、それまで千羽鶴を織って送ります、との手紙がきた。毎月、100羽づつ送られてくる。それを恵が丘原爆老人ホームの1人に差し上げて喜ばれた。毎月、1人づつ。そして10月、千羽目は、本人の衣里さんと、お母さん直美さんが長崎へ来て、原爆老人ホームで10人目の老人に完了の千羽鶴を差し上げたのだった。見事に成し遂げたわけです。これが、そのときの写真です。新聞に掲載された。
★出会いから18年の歳月が流れる。衣里さんは高校生になり、成長して結婚し、2人のお子さんの母親になった。聖コルベ館時代に、修道院の数人と、北九州の衣里さんのお宅まで訪ねたこともある。お母さん直美さんとも出会った。
★いつの頃からか、私の母親の命日に、毎年、立派なお花が届くようになった。3、4年なら、いざ知らず、10何年も続くとは、本当に真心のこもったお花の贈呈です。感謝して戴き、飾って、母の命日を祈っております。
★今朝は、教会のミサで、司祭にお願いして、「トマ・松吉、クララ・ワサ」の両親のため祈りました。
★直美さん、衣里さん、出会いから今まで本当に有り難う。ご縁をつづけてくださること、本当に嬉しいです。原爆死した母は45歳でした。このお花を喜んでいることでしょう。