2018年8月20日月曜日

潜伏キリシタンが伝えた雪のサンタ・マリアの聖絵

潜伏キリシタンが世界遺産になった。夏の話題として、1枚の貴重な聖絵を紹介しよう。歳を老いた者は歴史をかかえている。過去の証言を知っている。平成元年に神に召された出津の信者に、田中用次郎さんがいた。外海のキリシタン研究家で、私も懇意にしている篤信の男性だった。平成元年に亡くなっているから、30年以上前に聞いた話になる。
★田中用次郎さんは、この写真の聖絵を昭和50年頃に外海の農家で発見したと言った。「私が子供の頃、キリシタンの血をひく母が、しばしば『雪のサンタ・マリア』のことを話して聞かせた。母から聞いていた『雪のサンタ・マリア』はどんな聖絵かと、長い間、脳裏から離れなかった。それが縁あって、うららかな春の昼下がり、農家のこんもりと繁った古い椿の木の下で、その聖絵を現実に見たとき、非常に感動を覚えた。描かれた人物は頭を軽くたれ、両手を優しく合わせて祈る乙女マリアで、純潔をあらわす赤い布を身にまとい、自然の髪を長く垂れ、バラの花の冠を戴いていた。額や左頬と耳に斑点が染み付くほど絵は痛んでいたが、表情はやさしく、神の御母としての尊厳が溢れていた。350年、命をかけて、この聖絵を守りぬいた。同行の結城神父が言った。『無原罪の聖母マリアです』」
★田中用次郎さんは、母から口伝えに覚えた潜伏キリシタンの「アヴェ・マリア」の祈りを、最初の「アベマリア、ガラシャベーナ、ドメレコ、べラットツーヨ」から「アメン」の最後まで一気に唱えて、私を驚かせた。
★「どうして雪のサンタ・マリアというのですか」と聞くと、用次郎さんは答えた。西暦365年、聖リベリウス教皇の代に、ローマにヨハネという熱心な貴族がいた。夫妻に子供が居なかったので、遺産の相続人を聖母マリアに定め、財産をどのように使ったらようでしょうかと聖母マリアに熱心な祈りを捧げていた。
★ところが8月4日の夜に、聖母マリアが夫妻に別々に現われて、「エスクリヌムの丘に雪を降らせるから、その地点に聖堂を建てるように」とのお告げがあった。教皇にその旨を報告すると、教皇も同じお告げを受けたという。ローマの聖職者や信徒たちが行列して丘に登ってみると、本当に丘の一部に白雪がつもっていた。お告げの通り、教会が建てられた。これが雪の聖母マリアの大聖堂である。
★用次郎さんによると「このような言い伝えを聞いた外海の潜伏キリシタンが、当時、描かれていた無原罪の聖母マリアの聖絵をみて、『雪のサンタ・マリア』或いは『サンタ・マリアの雪殿』と呼んだのでしょう。キリシタンたちは、苦しいときも、悲しいときもサンタ・マリアを仰ぎ、そのご保護を求めながら強く信仰を守り続け、宣教師たちの到来を待ち続けたのです」と言った。田中用次郎さんが今も生きておられたら世界遺産を喜ぶとこだろう。惜しい人を早く亡くした。
★潜伏キリシタンの口伝えの教えは、『ローマ』や『雪の』や『雪殿』など確かに伝わっていた。その信仰に驚くばかりです。ちなみに、この聖絵は、長崎市の日本26聖人記念館に大切に展示されている。