2018年8月25日土曜日

ゼノ修道士の映画、聖フランシスコの精神は生きる


昨日の夕方、長崎新聞の女性記者が、ホームに迎えに来た。黒の四輪駆動の乗り場が高い車だった。まだ明るさが残る山道を、十数分走る。山の中のシスターたちの修道女院へ到着した。それと同時に、ポーランドからの山平茂美さんも着いた。院内に入り、先ずは再会を喜ぶ。シスターの心こもりの夕食を、トマ、山平、記者の3人で戴いた。韓国人のシスターも居るそうで、韓国の「おにぎり」もあった。7時に集会室に集り、ゼノ修道士の映画が始まった。シスターたちは、35人ほど居た。トマも後方で期待の映画を見た。
★ゼノさんと言えば、語るに沢山の話題がある。その人生の流れを、どのように「30分の映画」にまとめるのか。映画の最初は長崎の原爆から写る。最初は丸く、後、もくもくと空高く上がる原子雲。パアッと、出たのがトマの原爆体験の語りだった。「本当に、びっくり、したよ」。その話が又、長いんだね。30分の時間に、「もったいない」気持ちだった。
★結局、十数人の男女が、思い思いに、ゼノさんの印象を語った。トマ、シスター岩崎、萩原神父、水浦神父、ポーランド人のシスターなどが身近な人では証人になった。その話を、こま切りにして、ゼノさんの歩みの折々に、つないで行った。山口神父は聖コルベ館の資料室から、ゼノ修道士の遺品、カバン、クツ、名詞入れなど説明した。
★映画を見ながら感じたことは、ゼノ修道士は、①路頭に迷う人も、身なりの汚れた男女も、先生、親方、社長と呼ばれる人も、同じ人間として同等に見ていた修道士。②金銭や物資を持てる人から寄付して貰っても、自分は厳しい清貧に生きた修道士。③お礼を求めない、見返りを求めない、無償の愛を貫いた人、だったと言える。映画の中には沢山の写真と、動くフィルムも収録されていた。運動会で、走るゼノさんの姿もあった。
★最終的には、ゼノさんの着ているフランシスコ修道服が強烈に写った。ゼノさんは、本当のフランシスコの弟子であり、兄弟であった。トマは、修道服を誇りに思う。
★山平茂美さんは、ポーランド在住9年、ポーランド人女性と結婚して、娘の百合香さんは8歳になる。制作は外務省で、縁あって、この映画に携わった。別れに、ゼノさんの映画のDVDと、ポーランドの蜂蜜を贈ってくれた。
★ホームへの帰りは、新聞記者が車で暗い山道を送ってくれた。夜の9時に帰る。その夜は、ゆっくりと眠った。今朝、また昼前に山平さんがホームに見えた。ありがとう。写真の後ろは、証言者のシスター岩崎さんと、ポーランド人のシスター。