2018年7月6日金曜日

世界遺産。出津ド・ロ神父の家来だった仙太郎を想う

かつての外海・出津の風景です。ムシロの上に、白く、干しているのは常食、「カンコロ」(芋を切ったもの)です。出津の集落が「世界遺産」になって、テレビで「ド・ロ神父」や「記念館」も紹介された。
★「ド・ロさま」と言えば思い出されるのが、仙太郎さんの思い出です。昭和31年(1956年)に記事を書いた。ド・ロ神父さまの家来を努めた「坂本仙太郎」の聞き書きです。当時、仙太郎さんは72歳。尋常3年を終えて、11歳で、ド・ロ神父(パーテル様と呼んだ)の司祭館に住み込み、家来になったと言う。また16歳のとき、芳五郎(後の枢機卿)の洗礼代父になった。
★彼の話は本当に面白かった。武勇伝というか、彼は家の中でも、水兵帽子に似た格好の帽子をかぶっていた。「ド・ロさまの家来は何年務めましたか」「6年。前の3年はイタズラばかり。後の3年、教えられた」。面白い話は、こうだ。賄いに、コメさんが居て、パーテル様が「西洋のセリを煮ろ」と命じた。コメさんは耳が遠くて、「セリ」を「キセリ」と間違えて、パイプを煮て驚かせたそうだ。コメさんが退職して、エチさんが来た。村人がワナで大きな「うさぎ」を捕まえて、パーテル様へ持って来た。「キンタにやれ」。教会の上に「金太」が居た。エチさんは「アッタレゲーナ(おしいことよ)」言いつつ、金太にくれてやった。金太は喜ぶ。「キンタ」は、ラテン語で「木曜日」で、「その日に、やれ」と言ったのだった。
★彼は何も失敗しなかったのか。前の3年は色々イタズラばかり。後の3年は教えを講うた。「在るもの、在らせられるもの、在らせられずして、在るものなし」「無きものを、他に与うるあたわず」
★仙太郎さんは伝道士として生涯を貫いた。熊本に10年、福岡に4年、長崎に4年、長州の萩に8年、伝道生活で働いた。昭和11年に出津に帰ってきた。
★古い記事を読み返すと、私も色んな人の話を聞いてきたと、当時が懐かしい。