2018年7月15日日曜日

遠藤先生の思い出。1981年頃。マジメなお人柄

昨日、日記に遠藤先生の事を書いたが、どうしても、この写真を載せたくなった。遠藤先生が長崎へ取材に来たとき、トマが案内した記念の写真です。朝日新聞に、「女の一生・第2部」を連載される少し前で、この時、トマが作成した「長崎のコルベ神父・資料集」を差し上げた。この資料集が、女の一生・第2部の執筆に役立ったそうで、お丁寧なお手紙まで戴いた。
★その後、東京で、コルベ神父の列聖にちなんで、遠藤先生と対談した。遠藤さんは快く引き受けてくださった。対談で、遠藤さんが言われた言葉を忘れない。
★「小崎さん、あなたは僕に、修道士になる前の話をタクシーの中でしてくれたでしょう。長崎で。戦争中、あなたが原爆で、助けを求める人の手を振り切って逃げた話を。アウシュヴィッツとよく似た世界におられたわけだ。ああいう時、パンを誰も与えることはできない。僕が隣の奴のパンを盗んで食べてしまったとしても、あなたは僕に、極限状態だから仕方がないと言ってくれると思うんですよ。病人がおってもですよ。コレ食わなかったら、フラフラになってガス室行きでしょう。
★そういう世界の中で、自分のパンを枕元に置いて行った人がいた。そういう、ごく小数の人が、人間の威厳を救ってくれた。人間はまだ信ずるに足ると思わせてくれるいる人だという気がしますね。その象徴としてコルベ神父様がいる感じで」
★遠藤先生は「狐狸庵先生」のイメージとは程遠く、まじめで暖かいお人柄を感じた。2時間半の対談で、お別れに色紙に一筆お願いすると、細い字で、次のように書いてくださった。「多く愛するものは、多く許さるるなり」