北海道のトラピスト、野口神父さんから連絡があった。
「浦上天主堂の中で見つけたマリアさまを写真に撮ってほしい」
長崎市・浦上の片岡弥吉先生のお宅だった、と思う。
駆けつけて、撮ったのが、この1枚です。それは痛ましい聖母マリアさまのお姿だった。
野口嘉右衛門神父さんは、戦時中、兵隊へ出かけた。
復員してみると、浦上天主堂は無惨にも、瓦礫と化していた。
神父さんは、偶然にも、このマリアさまを発見する。神父さんは、大事に抱えて、北海道の修道院へ持ち帰った。
野口神父さんは、毎日、マリアさまに、平和を祈りつづけた。
ある時、聖母の騎士社から、小崎修道士が、トラピストの取材にやってきた。野口神父さんの仕事は、養豚。文を小崎が書き、同行の写真家が、子豚に牛乳を飲ませる神父さんを撮って、「カトリック・グラフ」誌に載せた。以来、仲良しになる。
野口神父さから、小崎修道士が呼ばれたのも、その縁であった。「このマリアさまを、浦上に返します。写真を撮ってください。写真のマリアさまを大事にします」。野口嘉右衛門神父さんは、涙を流して、マリアさまに別れを告げた。
返却の日に、記念の写真を撮ったのは、小崎修道士だった。
★「平和とは、なんだろう?」。小崎のアタマに、すぐ浮かぶのが「秩序の静けさ」だ。何かで読んだのだが、お母さんが、まな板の上で、包丁を使って、トン、トンと、野菜を切る。みそ汁の匂いがする。心地よい。だが、一方で、包丁を、振り回したら、どうなるか。殺傷事件が起こる。血の匂いがする。包丁も、正しく使えば、有利になるし、振り回せば、凶器になる。人間が作ったものは使いたい。有利に使えば、平和が保てる。
★何十年、経っていただろうか。小崎修道士が、北海道トラピストを訪ねると、野口嘉右衛門神父さんは老いていた。それでも小崎修道士を温かく歓迎し、聖堂に案内して、オルガンを開いて、神父さんは、マリアさまの賛歌を弾き、楽しそうな表情で、歌っていた。
★それから間もなく、野口嘉右衛門神父さんは、神の御元へ逝かれた。92歳だった。いま小崎修道士は、神父さんと同じ歳になっている。
感動的な写真です。
返信削除被爆のマリアさまは、労働と共にある場で
癒やされていったのだと思います。
野口嘉右衛門神父さんに護られた
マリアさまは、幸いでした。
野口嘉右衛門神父さんとトマさんが結びついて
いくのも、マリアさまが長崎に帰着し、
野口嘉右衛門神父さんにはトマさんの
撮影した写真が残ったのにも、心に
ひたひたと満るものを感じます。
“労働の中の癒やし”を見ました。
現代で言われるアクティブ・レストなどとも
繋がるのでしょうが、もっとより深いところ、
人のイノチの輝きに関わるところを感じ取ります。
労働と癒やしにこだわる新たな課題も
示していただきました。
ありがとうございます。