2020年8月22日土曜日

天の元后聖マリア。「ルルド」のマリアさま。ホントに、きれかった

テレビで見た聖母の騎士の「ルルドのマリアさま」
こんなに美しいご像、お顔だちだとは、思いませんでした。
ホントに、ホントに、きれかった。美しかった。
普段は、遠くから見上げるので、気が付かない。
NHKのカメラ・レンズが、いいのかな。
初めて知った、マリアさまのお顔です。
コルベ神父が愛していた「けがれなき聖マリアさま」
今日は、教会では「天の元后聖マリア」の記念日です。
聖母の騎士の「ルルド」で祈ったことを思い出しました。
幸せだったな、あの日。
からだ、じゅうに、浸み込んで行ったな、お水。
マリアさまには、安らぎがある。十字架、殉教は、血と汗です。潜伏キリシタン達も、マリアに秘かに祈った。
そこには、母なる、優しい、慰め、眼差しが、ある。
★「人間は、ね。誰でも、ね。外見では、見ては分からない、痕跡をもっている。誰でも、その痕跡を背負いながら、生きている。どんな人でも、その痕跡があると思う。キズだよ。それを受け入れて、生き、耐えて行くしか、ない。私は、思うね。自分の人生を振り返って、ウン、簡単じゃ、ない、人間は」。この言葉から、私の番組のテレビは始まった。再放送がなされて、1週間になる。
★17歳で、聖母の騎士に入ったとき「真実なものを、求めたい、気持ちがあった。真なるもの、ゆるぎないもの、(原爆で、人間が、営々として、築いた物が、すべて破壊され、メチャ、メチャになった、その現実を見たからね)、なんか、こう、人間の底辺にあるもの、そういうものが分かるんじゃ、ないか。おぼろげながら、あったんだね」
★だが、結核・病気になって、「残る腎臓も、侵されて、アウト。私が、こんなに、がんばるのに、(神は)なぜ、私の道を、はばむのか、という気持ちは、あった」
★当時の、ポーランド人院長は、私の病状を見て、先の見込みは、ないと判断し、「出て行きなさい」と言う。助けてくれたのが、ミロハナ神父。同じポーランド人。ミロハナ神父は「苦しみは、100%受け入れなさい」という。「私は、その頃、7割ぐらいは、シンボウしてね。3割ぐらいは、グチを、こぼしても、いいじゃ、ないか」
★そんな私は、よくぞ、生きた。テレビは、よくぞ、私の人生を、まとめてくれた。安堵(ど)したのか、もう、腰骨のチカラが抜けたよ。

2 件のコメント:

  1. マリア・フランチェスカ2020年8月22日 16:59

    本当にお美しいマリア様です
    番組で初めてお近くにお顔を拝見し心が癒されました。
    番組を拝見した私達にとってもお恵みの一時間でした。
    私は日記を励みに歩んでおります。
    トマさん
    これからも宜しくお願い致します。
    感謝と祈りのうちに

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  2. がぶらってぃ2020年8月22日 23:32

    聖母の騎士のルルドに身を置く体験が
    できても、自身の体をマリアさまに
    ここまで寄せることはそうそうできません。

    トマさんが「こころの時代」に出てくださった
    おかげで、かなったことでした。
    安らぎと癒やしを得られ、先々で分かち合えます。
    トマさん、本当に本当にありがとうございます。

    改めまして「こころの時代」上のトマさんは、
    ステント入れ替え前のお身体とは思えない輝きに
    満ちておられました。確かな発声で聞こえてくる
    力強い言葉の一つ一つには、安定感がありました。

    影像のトマさんは、イノチの道筋と意味を
    発せられる言葉に乗せてしっかり届けて
    くださいました。また日記で出会うのとは違う
    トマさんのお姿に、何かがほどけたような
    活力を得ました。

    腰骨の力が抜けたような気持ちに
    なられたのは、ほっとされたためでしょう。
    少しばかりの社会的緊張から放たれて、
    心がほっとして、腰骨の力が抜けたような
    感覚を覚えられたのだろうと思います。

    けれど、祈りへの張りはトマさんの中で
    緩むことはないはずです。

    その解放を楽しまれつつ、
    どうか私達のために、トマさんの祈りを
    日記として表出し、共有ください。
    がぶらってぃは、全てをくみ取って感じ尽くして、
    学びと救いにしたいのです。

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