2020年8月21日金曜日

原爆医師・永井隆博士と聖母の騎士誌。「読売新聞」に掲載される

永井隆博士は、コルベ神父を診察した記事を書いた。
戦争中、永井先生は、軍医として、中国戦線へ。時折、『聖母の騎士』誌に、絵を添えて「戦地の便り」を載せた。
★戦争が終わった年の秋、トマが聖母の騎士に入ると、永井先生が、宿として学校内に宿泊していた。夜の自習時間に、永井先生が来て、いろんな話を聞かせた。その年のクリスマスは盛大で、御馳走もあり、永井先生も一緒にお祝いした。
★翌年、春。「聖母の騎士中学」が始まる。トマは、中三になる。永井先生が「理科」を教えた。
★秋、運動会の競技のため、大きな「アシジの聖フランシスコ」の聖痕の墨絵を2枚描いて下さった。(写真)
★その年の12月、『聖母の騎士』誌が再刊されると、永井先生は、毎月、原稿を書いた。連載は、逝かれる寸前までつづいた。
★トマには、永井隆博士(長崎大学教授)を知ったこと、また教えられた貴重な思い出は、先生の「平和を」の文字と共に、いつまでも心に残っている。
★今日の「読売新聞」に、永井先生と聖母の騎士誌の記事が載った。紹介します。

1 件のコメント:

  1. がぶらってぃ2020年9月5日 2:33

    永井先生の発信は、大きくゆがめられた時期が
    あり、カトリック以外でも正しく理解される
    縁の繋がるよう願っておりました。

    読売新聞のとりあげに感謝します。

    永井先生は、小神学校の運動会のために
    絵も描いておられたのですね。それも
    すばらしく安定した力強い墨絵です。
    児童・生徒の目にも、写真の中で
    隅から眺めている地域の子の目にも、
    訴えるものがあったでしょう。

    運動会での競技が「従順」「聖地巡礼」などと
    命名されていたと書かれていましたね。
    実にカトリックらしいユーモアの表出と
    思います。

    経営的な面で、事業継続の実務的判断に
    取り込まれていっているような
    日本のカトリック校ではありますが、
    このような豊かさを、今のカトリック校の
    園児・児童・生徒が感じ取れる機会のあるように
    願います。

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