2020年8月13日木曜日

「こころの時代」再放送。ぜひ見て下さい。修道士の実体験の語りです

お盆に入る。
ホームで、この1年間、逝かれた故人の写真が並べられ、供養の壇が、食堂に設けられた。
逝かれた人たちを、忘れない。
いつか、自分も、あの写真の額になる。
神父さんや、修道士さんで、逝かれた人は居なかった。
ホームには、仏教の入居者もいる。偲び、冥福を祈る。
ホームに入った頃、こんな話を聞いた。夫婦で、ホームに入ってきた。2つの部屋の間仕切りを外して、夫婦で、使った。間もなくして、ダンナさんが亡くなった。奥さんは、毎朝、熱心にお経を唱えて、ダンナの下の名を呼ぶのだった。そして「チン」を鳴らす。
ダンナさんが亡くなったので、間仕切りを元に戻して、2つの部屋にした。その1つの部屋に、ダンナと下の名が一緒の男性が入って来た。奥さんが、毎朝、ダンナの名を呼ぶと、隣の男性が聞こえて、答えて「ハイ」と返事する。奥さんが「チン」。どうやら奥さんも歳を重ねて、耳も遠くなったらしい。「ハイ」「チン」は日課となった。これは、いつも入浴のとき一緒になる、その本人の男性から聞いた話です。男性は、その後、部屋を変わった。あの奥さん、今も「チン」を鳴らしているか、どうか。
★朝、ミサの後、「ゆるしの秘跡」を受けた。むかしは「告解(こっかい)」と言った。浦上では、被昇天の祭日前に、信徒は「告解」する習慣があった。原爆が投下された時も、ちょうど天主堂内で、告解中であった。司祭も、信徒も、亡くなった。「ゆるしの秘跡」の前に、自らに問う。「死んで、神の御前に出たら、自分は何を問われるか」。その念頭で、自省する。老いても、汚れや、欲望は、あるものです。
★「こころの時代」の再放送が、15日の午後、テレビで出ます。92歳の修道士、小崎登明の語り。まだ見られていない人は、ぜひ、見て下さい。

4 件のコメント:

  1. 「こころの時代」を見させていただきました。ご自分の体験を通して深められていった信仰を、わかりやすくお話しくださる姿に、本当に感動いたしました。ビデオにもとってあるので、共同体の姉妹たちにも見せたいと思っています。神様のみ旨が、ブラザーの上にますます行われますように、心を合わせてお祈りいたします。私は今、群馬県の小さな教会のお手伝いをしていますが、コロナの影響で、仕事がなくなっている外国人の方々が大勢おられます。どうぞ彼らのためにお祈りください。マリアの宣教者フランシスコ修道会 シスター細渕則子  PS.高原さんによろしくお伝えください。聖母の園老人ホームで一緒に働いていた者です。

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  2. 私もゆるすことができない過去な記憶に苛まれています。幼い頃、私は虐待されて育ちました。大人になった今でも、その時の記憶がふとした時に呼び起こされて、苦しくなることがあります。

    小崎先生の言葉がとても深く心にしみて、涙があふれました。苦しみの中に意味を見出し、乗り越えていく、、、少しずつ向き合って生きていきたいと思います。

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  3. 私もゆるすことができない過去な記憶に苛まれています。幼い頃、私は虐待されて育ちました。大人になった今でも、その時の記憶がふとした時に呼び起こされて、苦しくなることがあります。

    小崎先生の言葉がとても深く心にしみて、涙があふれました。苦しみの中に意味を見出し、乗り越えていく、、、少しずつ向き合って生きていきたいと思います。

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  4. がぶらってぃ2020年8月20日 15:07

    聖フランシスコ園の豊かさが伝わるお盆の設えと思いました。祈りに満ちていることが感じ取れます。

    夫を送った妻の「チン」と隣室からの「ハイ」という返答には、人の死と併せて在るユーモアが感じ取れ、癒やしの存在が見えるように思いました。お風呂の時にご一緒になる男性とトマさんとが、信頼しあって分かち合ったお話として、がぶらってぃにも癒やしになりました。

    妻の「チン」と隣室の「ハイ」という関わりによって、亡くなった夫は社会的にも文化的にも、もしかすると心の部分でも、永遠のイノチを得ているように理解します。

    告解(ゆるしの秘蹟)の扉は、今のがぶらってぃには重いものです。感染症対策で受けられる場が限られていることもありますが、言い訳になっているのでしょう。告解に備える強さが足りません。

    トマさんの日記のおかげで、がぶらってぃの精神は救われています。今日もありがとうございます。



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