2019年9月20日金曜日

韓国も親友。信仰は同じ。韓国の思い出は、心温まる実話ばかり

きょうは、韓国の殉教者。聖アンデレ金大建(キムテゴン)司祭と、同志殉教者103名の記念日です。
★聖コルベ館に勤めていた頃、韓国の巡礼者が多く来ていた。その中に、テグの李大司教さまが居られる。李大司教さまは「永井隆博士」の尊敬者だった。私は「永井博士」を知っている。それが縁で、私は韓国に招待された。李大司教さまは私に言われた。「小さなお年寄りの修道士。私は何度もこの修道士を見ました。なぜなら何度も聖コルベ館を訪ねたからです。ちょっと不愛想な表情の奉公人の感じ。でも少しづつ心が通じ、1度招待したいと思っていました。お会い出来て嬉しい」。私は、この「奉公人」の指摘が、とても気に入った。奉公人と思っている。
★それから特に、私は、李大司教さまと、知り合いになった。李大司教さまは引退しておられたが、私に好意を示して、私の案内を親交のある崔教授に頼んで、各地を案内した。殉教記念館に連れて行ったとき、車の中で、崔教授が言った。「韓国の殉教者は、一発破壊、即座に殺される。日本は、穴づり、水責め、熱湯、火あぶりで『転べ』と拷問する。信仰で耐えた。『殉教の霊性』ですよ」。韓国の殉教者の日に、いま、それを思い出した。
★もう1つ、思い出がある。崔教授が、夕方から夜にかけて沢山の信徒が祈る「ルルドの聖母堂」に車で連れて行った。早めに帰ろうと、車に乗った、その時に、若い母親が赤ん坊を抱きかかえて、修道服の私に差し出した。びっくりする私。崔先生が言う。「祝福して、ほしいと、願っています」「え?わたしが」。母親の目がうるんでいる。司祭でない修道士が、祝福を与えていいものか、疑いがあった。でも「アボジ(父親)の祝福なら出来るかも」と、とっさに考えた。幼子のヒタイに十字を記してあげた。あの幼子は、育っているだろうか。この出来事は、今も忘れない。
★もう1つ、おまけがある。その後、また韓国へ行ったとき、広大な敷地の山の修道院で、私と同じ修道服を着た修道士が、小川が流れる離れに小屋があって、簡単な木製のテラスがある。修道士が小屋で、おいしいコーヒーを入れて、テラスでくつろぐ私たちに、香りのよいコーヒーをサービスしてくれた。しばらくすると、コーヒー修道士が、大きなバケツに沢山のコップを入れて、重たそうに腰を曲げながら、テーブルのソバを通っていく。「え?どこへ運ぶの?」。院長の説明によると、小屋には水道を引いていない。使う度に、70mほど離れた修道院へ運んで、洗っている。水も修道院から汲んでくる。山林や、環境、小川を汚染させないためだ、という。この出来事には、感動と言うか感心した。「気配りがあるウマイ・コーヒー。これこそ、いま、はやりの『おもてなし』ではないか。ああ、あの修道士も、どうしていることか。
★最近は、韓国の人たちが、気になる報道がつづいている。

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