2017年8月20日日曜日

何も出来ない自分。助けてください。手を伸べて

ホームに隣接する湯江教会。日曜日の1番ミサは、6時から、主にホームの信徒が祈ります。一般信徒のためには2番ミサ、9時から行なわれる。今日は、ミサ後、信徒の分かち合いがあるというので、2番ミサの終わり頃、教会へ行った。ミサが終わろうとしていた。その時に写した写真です。中央に司祭の後姿が見える。
★その後で、会議室に10数人が集って、今日、読まれた福音の中で読まれたひと言を、それぞれが発表した。私は、「主よ、助けてください」を述べた。そして次の説明をした。
★ホームに入って、3年目を迎える。振り返ってみて、一番の悲しみ、悔やむのは、入居してから、「人のために働いていない。尽くしていない。愛の実行をしていない。何も人に与える仕事をしていない」。何も行なっていない寂しさだと、述べた。
★この事は言わなかったが、長崎・聖コルベ館に居たときは、巡礼者や見学者のために手助けが出来た。教えたり、会話をしたり、お互いの交流の中で充足感があった。それらの他人に対する奉仕が、入居によって、いまは全く無くなった。それが寂しい。「主よ、助けてください」。入居したから、あなたは、何もしなくて、いいんだよ。日々元気で暮らせば、いいんですよ、そう思われるのが一番ツライ心境です。
★いまは自分で生きるのが懸命です。歩くにしても、以前は何も考えずに、自然に自由に歩いていたのに、その肝心な能力が失われつつあって、一歩、一歩、歩くのを、気にしたり、辛さを感じたり、そのことが自分の生活の課題にこそなっている。
★「主よ、助けてください」。今日は、福音の中から、その祈りを心から唱え、願いました。聖書に出てくるような弱い人間が、ここにも居ります。「手を伸ばして、助けてください、主よ」

2 件のコメント:

  1. 小崎さんのお言葉は心に響きます
    何度も読み直し
    優しさをお言葉から頂いています。

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