2014年6月30日月曜日

小さな旅⑦終わる。鳥取から、長崎へ。1つの教訓。

★小さな旅は、長崎を出て、広島へ。さらに鳥取へ。一週間の旅は終わりになった。★広島で、お世話になった、エンゼル・キャブの八智子さん。写真は、自宅で写した。後ろの掛け軸は、登明修道士の作。ブドウの墨絵です。八智子さんは、ご主人と、大きな会社を抱えて、その背後には沢山の社員の家族も抱えて、大変なご苦労がある。その八智子さんに問うた。「人と人と、うまく、やっていくには、あなたの経験から、どう生きたら、いいのか?」。八智子さんは答えた。「ギブ・アンド・テイク」と。つまり「与えて、そして、いただく」。与える姿勢、何でも、いいのです。従業員も、事業主も、お友だち。その時々によって、その人が欲しい、親切、時間、お金も、物資も、与えます。結果的に、戻ってくる。自分も幸せになる。自分が困ったとき、なぜか、うまく事が運んだ経験があるでしょう。自分だけが、トクしようと、思うな。母(ヨシエさん)は、「ママを、だましても、だまされない御者(神さま)が居るのよ」と教えた。難しいことの中でなく、やさしい言葉のなかに、人間の生き方があるような気がします、と八智子さんは語った。広島で得た教訓だった。★ところで昨日、鳥取で、愛徳修道士会のベルギー人、日本人の修道士の小さな修道院を訪ねた。親しく会話をした後、廊下の壁に、修道会の紋章があり、ラテン語で、「DATE, ET  DABITUR  VOBIS」と書いてあった。これぞ「与えよ。さすれば、汝ら、与えられん」。この言葉じゃないですか。このラテン語を見たとき、「ギョ、ギョ」っと、心に衝撃が走った。広島の八智子さんと、鳥取で見事に、つながった。人生には、こういう思いがけない、つながりがある。「出来事を、つまみ取って、つなぎ合わせて、1つの流れをつくる。その出来事が面白いのです」。トマの文章は駄文ですけど、文の本心のは、それがあるのです。つなぎ、を書いているのです」。★この度は、広島と、鳥取の小さな旅だったが、沢山の人から多くの恵みを与えられた。人生に最も大切なものは、何か。あなたのホホエミ、あなたの手の温もり、それを「与えること」。さすれば、恵みは必ず、あなたに戻ってきます。この旅で得た人生の教訓でした。それを実感、まとめた旅でした。86歳、あら、そうなの。若いよ、言われる。それが一番、嬉しい。旅で出会った皆さん、ありがとう。与えてくれた人びとよ、ありがとう。「ホホエミ、温もり、与えられる宝」は、これです。いま、旅の終わりのモットーは、「無償で、与えよ、さすれば、あなたも多くの恵み、幸せを受けられる」。心に秘めました。★朝、7時5分に、鳥取を、特急で出発しました。みどりさんが1人、見送ってくれた。「さよなら」。小さくなるまで見守った。岡山で新幹線に乗り継いで、九州へ入る。午後1時50分には、長崎へ着いた。「人生には、多くの困難、悲しみ、辛さがある。いまは暗い道だが、祈りつつ、捧げつつ、耐えて行けば、道の向こうに、必ず、幸せが、ある。希望をもって、あすから、また始めよう。★無事に、念願の小さな旅を終えて、聖コルベのお姿を仰ぎ見た。応援してくださった読者の皆さん、ありがとう。


2014年6月29日日曜日

小さな旅⑥鳥取の日曜日。ミサで祈る


★鳥取の教会で、皆さんと、ミサで祈りました。ミサの終わり、主任神父さんが、紹介してくださった。「長崎の聖母の騎士です。聖コルベ館につとめております」。コルベ神父の身代わりの愛を少し語りました。ミサが終わって、皆さんと交流が持てました。おみやげに、大きなカステラを持参した。シスターの1人は、「入会の前から、ずーっと昔から騎士誌の愛読者です」と、嬉しい報告でした。「長崎のカステラは、おいしい」と喜んでもらえた。色紙を20枚を持参して、皆さんに購入してもらった。「お金は、いま鳥取教会を改装しているので、献金します」と捧げました。「五島に行ってみたいです」と切望される男性もいた。「ぜひ、来てください」。和気あいあい、でした。★午後から、愛徳修道士会を訪問した。2人のベルギー人修道士と、1人の日本人修道士が祈りながら、宣教している。1人の修道士は、耳が遠くなって、旅行が難しく、休暇でも故郷へ帰れません。日本の地に眠ります」と言いながら、日曜日、教会ミサでは、オルガンを弾いているのです。1930年生まれ、6歳のとき、修道士会の学校で学び始めて、修道士の先生に心を惹かれて、そのまま修道士になった。訪問したとき、ベルを鳴らしても、誰も出ない。修道士は、小聖堂で、ひとり祈っていた。窓から、祭壇の灯が見えた。「なーんだ。いるじゃないか」。気がつきて、中へ入れてくれた。介護で働く修道士も帰ってきた。3人の修道士が揃って、皆さんと語り合い、慰められた。「えらい、なあ、の一言です」。こういう人の祈りが、世の中を、社会を、世界を支えていると、確信しました。ありがとう、修道士さん。「ああ、オレも、修道士だった、な」。★夜は、最後の会食でした。主任神父さんとご一緒に、9人の皆さんが居酒屋に集まり、大いに会話が盛り上がりました。中村医師お夫妻も居られた。長崎での出来事や、信仰の秘話など、熱心に聞いてくださり、気が付けば、楽しく3時間が過ぎていた。毎回の、毎日の日程を計画実行してくださった、みどりさんご夫妻、大変、お世話になりました。いい思い出がイッパイ出来ました。ああ、本当に、よかった旅でした。あすは、お別れか。惜しまれます。長生きすれば、いいことも、あるよ。写真は、愛徳修道士会の修道院で、皆さんと、写す。

2014年6月28日土曜日

小さな旅。鳥取⑤カラダを調べる。休養。

★鳥取には、カトリック信者さんで、泌尿器科の専門医、中村先生がいます。何度か、お会いしている先生です。1度、現地で、カラダの相談をうけるのも、目的の1つでした。医療法人のクリニックなのに、その規模の大きさに、おどろきました。午前中、みどりさんが付き添えで、診察に行きました。尿の採取、血液の採取、中村先生の診察、エコーなどと合わせて、病状を伝えた。「いま1番の心配事は、これまで維持した腎臓の機能が低下しないことです。60年、左の腎臓だけで働いているのですから、ね。腎臓も疲れます。でも、よく頑張っています」。中村先生の見立ては、年齢を考慮しても、あなたの腎臓は、十分、働いています、と言われた。安心しました。中村先生と、鳥取教会で写真を撮りました。左は、主任の野嵜(のざき)神父さん。★鳥取での宿は、3年前と同じ、JR鳥取駅の構内にあるホテルです。歩かなくてもいいので、利用しています。午後は、ホテルでゆっくり休みました。フロントからパソコンを借りて、この文章を打っている次第です。その後、しばらく休養しました。夕食は、また何人か集まるみたいですよ。皆さんに、支えられています。ありがたいですね。★夜の食事処は、「いわしや」でした。3人だけの夕食でした。毎度、食事の世話になっております。トビウオ(あご)の卵が旬で、おいしいでした。国産・ウナギもあった。午後7時には、ホテルへ帰った。隣は、コンビニ。その隣は郵便局。便利なところです。

2014年6月27日金曜日

小さな旅④鳥取の海岸を船で遊覧。施設を訪問。

★鳥取では、協力者が多い。我も、我もと助けてくれる。日中の担当は、洋一さんの運転だった。どうしても鳥取の海岸を見せたいという。みどりさんも同行した。鳥取の東部の浦富(うら・どめ)海岸にむかった。遊覧船がつないである。「これに乗る」という。「え?初めてだよ。こんな船、乗るの?」。潮風に吹かれて、船は出ていく。海から見る島々、岩石など、確かに、五島列島の海岸の岩とはちがうよ。鉛筆を重ねあわせた岩が、横倒しになって、豪快さを表している。さすがに海に慣れた長崎人も感心したよ。50分ばかりの航海だった。★浜辺の食事処で、おなかを満たした後、みどりさんが、薬物依存症者の回復支援施設に案内するという。草しげる山手に、2階建てがあった。ちょうどミーチングの時間で、皆さんが円になって話し合いがおこなわれていた。奥の部屋で、施設長さんから説明をうける。これも勉強の1コマです。聖コルベ館にいたら、ここへ来るなんて、想像もしないでしょう。施設長さんのご苦労に、アタマがさがる思いだった。アルコール依存や、薬物の依存からの脱出は、現実はきびしい。いくばくの献金をさせていただきました。★みどりさんのお宅で、休養をとる。しばし眠りました。カラダは大事な資本ですからね。★夜は、鳥取の西南にあたる、湖山(こやま)池のほとりにある吉岡温泉へ向かいました。1千年からつづく素朴な湯治場です。お湯の熱い温泉です。夜は、宿屋で会食があった。鳥取の主任神父さんもお出でになり、みどりさん夫妻と、みどりさんの家のお隣さんの男性・登さんと、5人の集いで、楽しく笑い、飲みました。鳥取に来たら、気持ちが、心境が、ガラリと変わるんですね。とにかく、毎日、皆さんの温かい支えに、感謝しております。「疲れなかったか、って?。どーやら、カラダが、慣れたみたいです」。島めぐりの船上で、右が洋一さん。

2014年6月26日木曜日

小さな旅③ 広島から鳥取へ。砂丘のラクダ。

★朝、広島から新幹線で一気に岡山へ。特急に乗り換えて中国山脈を、10以上のトンネルで越える。午後2時前にJR鳥取駅に着いた。旅の終わりの目的地だ。鳥取教会のみどりさんと洋一さんが出迎えてくれた。3年ぶりの再会だった。★鳥取といえば砂丘でしょう。みどりさんの自宅(電機店)で休養をとった(写真)あと、砂丘へ向かう。見事な砂丘。圧倒される。3年前にも来たが、ラクダはいなかった。今度は、居るよ。「じゃ、記念に乗ってみよう」。ラクダ(栄吉君・10歳・若いので人気がある)に乗って、砂丘を一巡する。けっこう、揺れるんですね。ゆられ、ゆられると、胸のおくに眠っていた闘心が燃えたよ。長崎を出るときは不安がイッパイで、旅は大丈夫かと、ためらう気持ちもあったが、ラクダにも乗れるじゃないか。いい気になって、「シャシン、とって」と、 昔の元気が湧き出てきたよ。★長崎を出るときのモットーは、「行動しなければ何も生まれない」気丈さがあった。旅に出て、ラクダに乗った後のモットーは、「やせても、枯れても、老人とは言われない」。活力がもどって、平常になった感じがした。★洋一さんが、「砂丘と、日本海が一眺できる、山頂のレストランへ行こう」という。山に登った。眺めが、いい。日本海の先に北朝鮮がある。父はその地で眠っている。青い海を見ながら祈った。父の墓は、骨はどうなったであろうか。あきらめしか、ない。★この度、小さな旅へ出る時、「どこへ行く?」と聞かれる。「鳥取だよ」と言えば、「なんでトットリなんだ?」と不思議がる。海があるじゃないか。何か引かれるものが有るんだよ。みどりさん夫妻も居る。みどりさんが女子高生のときから、騎士誌を通じて交流があった。歴史は長い。★夜食は港の汐見亭で夫妻と3人で会食。時期遅れの、松葉ガニの御ちそうになり、会話がはずんだ。夜、8時半にはJR鳥取駅構内のホテルへもどった。「ラクダに乗ったとは、オドロキだったよな」。みどりさんが、介護の役だった。

2014年6月25日水曜日

小さな旅② 広島に滞在。カトリック墓地参り。

★広島エンゼル・キャブの会長、ヨシエさんが亡くなって、1周忌を迎える。お墓参りを望んだ。午前11時に、娘の八智子さんが車で広島JR駅構内のホテルへ迎えに来た。「母はこの花が好きだったのよ」。車中にカサブランカの生花があった。★広島カトリック墓地は廿日市の山手にある。四角い石碑が幾重にも山全体に重なっている。お父さんと、お母さんのヨシエさん、 20才で亡くなった妹さん、3人の名が一緒に刻まれていた石碑に、花をかざり、心をこめて祈った。墓碑には、知っている神父さんの名前もあった。写真は、家族のお墓と、八智子さん。★広島に来たからには1つの実話を思い起こしてみよう。敗戦で、原爆の廃跡に立つ若い父と母ヨシエさんは、これからは車社会が来ると、2台のタクシーから会社を立ちあげた。その後、娘(八智子さんの妹)の死と、父の死という、大きな苦難はあったが、苦しみのおかげで、家族はカトリックの洗礼を受けることになった。信仰が、人生と、経営の支えとなったと八智子さんは言う。★八智子さんはムコさん・憲嗣さんと一緒になって2代目を継ぎ、名称もエンゼル・キャブと改名して、タクシーの他に、各種のバスを含めて、いまでは大世帯となった。母ヨシエさんは91才まで会長をつとめ、会社を見守った。昨年7月、七夕が近づいたとき病床にあり、看護婦さんが、「何か願いごとをつけて下さい」と頼んだ。ヨシエさんは、 「何んにも、ございません」 と、すべては、おまかせして、神の御心にゆだねた。安らかに、七夕の前日亡くなった。★トマは、ヨシエさんと40年来のご縁がある。いろいろお世話になった。ポーランド巡礼も2度ご一緒した。墓参りは、小さな旅の1つの願いだった。★お参りの後は、JR広島駅構内のホテルに、早々と、午後3時には帰った。ゆっくりとした夜の時間をホテルで過した。★体調に配慮して、良好に、快適に旅をつづけております。

2014年6月24日火曜日

小さな旅へ出る① 長崎から広島へ。

★小なさ旅に出る。大きな冒険だった。正月は、沖縄へ出かけた。しかし3月、4月になって、急に体力の衰えを感じた。このままでは暗い未来しかない。体力、気力を試すために、小さな旅に出てみよう。いよいよ、その旅の実行だ。午前9時50分、長崎をJR特急で出た。博多で、新幹線に乗りつぐ。早やーイ。午後1時30分には広島に着いた。「なーんだ。こんなに、ラクなのか」。★旅に出る前は、不安や心配が山ほど有ったが、列車に揺られ風景を見ると、心のおくで眠っていた旅への意識が湧いて来るのを覚えた。元気が出てきたわけです。★広島では、駅の構内にホテルを取った。歩かないためだった。2時間ほどホテルで休んで、携帯を取って、広島の知り合いの家族に知らせた。★夕方、広島エンゼル・キャブの社長・憲嗣さんが、ご自分で車を運転して迎えに来た。自宅に招かれた。奥さんの八智子さんが待っておられた。木造の立派な家で、構えた床の間に、登明修道士画の墨絵「ブドウ」の掛け軸がかけてあった。客人を迎える心の「おもてなし」に感激した。なつかしく作品を見る。「よー、書けているな。その頃は筆力があった」と自画自賛した。★夕食は薬研堀で、夫妻に、ごちそうになる。鉄板焼きの老舗だった。★その夜は疲れもなく、ゆっくりと、早めに眠った。★人の気持ちとは、ふしぎなものですね。旅に出る前、何日も、また近づくに従って、「行けるだろうか」「行けるか、やめるか」と、真剣に迷っていた。ジメジメした気持ちだった。それが列車に揺られて実行すれば、何のことはない。「これなら、帰りの鳥取、長崎間も、大丈夫だ」と、気持ちは晴れ晴れとなった。不安も、心配も、何もない。旅を楽しもう。「出て来て、よかったよ」。自宅で、八智子さんと写す。床の間に、掛け軸がかけてあった。