2013年9月30日月曜日

カラだの診療に、さまざまな課題がある。ゲンキを出そうよ

予約の泌尿器科へ。「10月に入って、ステントの入れ替えをしましょう。そのために、血液検査、胸のレントゲン、腹のレントゲンを撮りましょう。ほかに、なにか、気になることは、ありませんか」とお医者さん。「3週間まえから、カゼ気味で、セキが出て、タンが出ます」と申し出た。内科の女性・医師の診察へ回される。「胸のCTを撮りましょう。タンを取ってください」。CT室へ。結果は、「前のと比べて変わりない。右の胸の、ここのところに、ウミがたまっている」。そんな言葉を告げられると、悲しくなる。いまの状態で、精いっぱい。昔の結核の跡でしょう。さわらない方が、いい。「ゲンキを出せ」と自分に、言い聞かせる。女医さんが「呼吸器の専門医に診せましたか」「いいえ、まだ、です」「1度、専門医に診てもらいましょう」「ハイ」「では、あした」。やっと、開放された。病院の診察は、どうしても長くなる。朝、8時40分に聖コルベ館を出て、戻ったのが、12時40分だった。4時間かかったわけです。それでも無事に戻れたのが、ありがたい。午後から、介護の入浴になっている。★きいろい、まんじゅしゃげ。食堂の向かいに咲いている。★ブログを読んでいる女性が語った。「ライモンド(ネコ)、月に1度ぐらいは載せてください」

2013年9月29日日曜日

サヨナラ。ルーマニアの神父さん、東京で、ガンバってネ

会の集まりが、終わって、みなさん、帰ります。ルーマニアのイシトク神父さん、東京に帰って、日本語、頑張って、じょうずになってください。「来年は、いっしょに、ルーマニアへ行こう」「ルーマニア、きれいな教会、たくさん、ある」「たのしみだな」。この度、イシトク神父さんは、いつも、トマ修道士のソバにいた。心の通う仲間ができたよ。フランシスコ会の修道士は、共同意識が大切だからね。共同体です。みんな、兄弟です。才能は違うけど、認め合っています。自分を抑える、霊的生活も必要です。内面の思いが、深くなる。そのためには、お祈りだね。「数日、共に暮らして、なにか、おもしろいこと、あった?」「ウーン、そうだな。信頼の気持ちだけ、だね」。イシトク神父さんは、東京の日本語学校で、いま学んでいる。だんだん、じょうずになるよ。笑われても、ドンドン使って、前向きに希望を持ちなさいね。★この歳まで、修道士を勤めて、良かったと思います。自分のチカラでは、ない。多くのヒトの支えが有った。だから、今が、ある。そう思うのが、好きです。これ、ホントだから。



2013年9月28日土曜日

最後のシメはお祝い。司祭金祝と修道誓願75周年。喜び。

会の集いの終わりは、2人のお祝いであった。神父さんと、修道士さん。お2人を囲んで、記念の写真を撮った。白い服が、神父さんたち。黒い服が、修道士たち。人数は少ない。前列、左側に立っている。注目すべきは、フランシスコ中村安五郎修道士さんです。下の写真が、そうです。コルベ神父の時代に入会した。コルベ神父と2ヶ月ほど、いっしょに生活した。コルベ神父のヒゲで、アタマをこすってもらった。長年、聖母の騎士の受付を務めた。「心の優しい、カオも優しい、修道士さん」です。★戦争中、15歳の少年だったとき、中村修道士のお世話になり、下宿先を探してもらった。中村修道士に命じたのは、当時の院長、ミロハナ神父さんでした。中村修道士は、浦上天主堂のすぐ下に、洋服店でした、宿を探してくれた。食料は配給だったから、泊まるだけ。店には、身障者の女性がいた。食事は、大学病院で付き添え婦をしていた母のところで食べた。入院患者のベッドのそばで食べた。そんな貧しい思い出もある。中村修道士から、かわいがってもらった。フランシスコ中村安五郎修道士さん、ありがとう。


2013年9月27日金曜日

会の集まり、4日目。サシミと、会話で、盛り上がった。

朝から、カメラが、見つからない。気にして、探して、周っても、ないね。夜になり、会の集まりも、いよいよ大詰めになり、夕食会となった。聖コルベ館ホールに、会食が準備された。会計係の松下修道士が、サカナ市場に出かけて、サシミ用のヒラスと、キビナゴを買い求めてきた。彼が腕をふるって、さばいたのが、このお皿です。「きれいや、なあ」。写真を撮りたい、カメラは?そう思った途端、「あったゾ」。ホールのイスにカメラが見つかった。なんで、そこに、あったのか。わからない。早速、撮ったのが、この写真です。夕食会は賑わった。写真も撮ったが、ここには載せない。そのなかで、1枚の写真を載せます。みんな楽しんでいます。フランシスコ会では、兄弟と呼びます。仲が、いいんです。写真、前の列、左がイシトク神父さん(ルーマニア)、小崎修道士、右が奄美大島出身の神父さん、後ろ左、五島出身の神父さん、右がベトナ出身の神父さんです。国や、出処が、多種多様です。そこが、また、いいんですね。笑いや、会話は、えんえんとつづきました。「トマさん、カオ、若くて、ゲンキや、ね」と言われた。うれしかったよ。「後、片付けがあるから、この辺で、終わろうや」。若者は、はたらく。老いは、去るのみ。★修道士であることを意識して、もっと、身を引き締めんと、いかんな。




2013年9月26日木曜日

会の集まり、3日目。この若者の訪問は、忘れない。

1日じゅう、つづいた集会が、やっと終わった。最後は、ミサ。15分ほどの休みがあった。ホットしていると、1人の若者から呼ばれた。関西からの旅行者。「ここには教皇さまと、マザー・テレサが来たんですよね」「ハイ、そうです」「教皇さまの写真は資料室に飾ってあったが、マザー・テレサの写真がなかった」。そう指摘されて、苦しいまぎれの答え。「いい写真がないのです」。彼は「インドの施設を訪ねた」という。聖堂・玄関のソファーに、向かい合って、座った。「ここは初めて?」「ハイ」「きっかけは?」「遠藤周作の長崎巡礼の本です」。教会に興味があるという。さっぱりした表情の男性。「仕事は、なに?」と聞くと「少年院、勤務です」。ちょっと意外。更に聞いていいのかなあ、「大学は?」「一ツ橋」。格好良く思えたので、更に踏み込んだ。「卒論は、なんですか?」「ゼツボウ、です」。「ギョ」彼は、哲学者の名前を挙げたが、覚えなかった。男子・少年院に勤めて、9年。年期は入っている。「ジンセイ、一番、大切なことは、なんですか」。すると、「怒るにしても、ホメルにしても、愛情が大切です」「あなたの家庭は、恵まれていた?」「幸い、家庭は恵まれた」。話しているうちに、ミサが始まった。リッパなカメラに目がいく。「写真、撮って。ワタシも撮る」。アクシュして、別れた。「日記に載せるからね」。短い時間だが、心に残った。下の写真は、ミサの場面。カメラは、しっかり持っていたのだが、次の朝、カメラが手元に無いのに気づいた。「無い、ない」と、4つの部屋を、くまなく探したが、どうも、ない。★思いがけない、5つめの部屋から、見つかった。カメラの行方不明は、男性とは関係ないのです。
 

2013年9月25日水曜日

会の集まり、2日目。与えられるヒントに、深く感動する

写真は、前からは、写しません。後ろからだけ、撮りました。午前も、午後も、同じ、教会のホールで行なわれた。めざすテーマは「福音に生きる」。父なる聖フランシスコの時から、今に、つながる生き方です。聖書の(旧約)創世記が取り上げられた。光や、星や、植物、動物、創造される。ニンゲンも。人間には神のイノチが入っている。どの人にも。困った人にも、むずかしい人にも、愛する人にも、みんな。それらを受け入れる。そこから今日の課題は、父なる聖フランシスコの「太陽の歌」です。創世記と太陽の歌をすり合わせる。フランシスコは、兄弟、ヒカリよ。姉妹なる水よ、動物よ、植物よ、そしてキョウダイなる皆さん、と心から呼びかけるじゃないですか。それを創世記から合わせて、導き出す。そう言われれば、知りたい、知りたいと思うじゃないですか。創世記から、大きなフクロで、困った人も、むずかしい人も包んでしまえば、温かくなるんじゃないか。どこに居ても、人間の世である限り、マサツはあり、苦労する人間関係は、あるのです。それを受け入れて、むずかしいですよ、それで、兄弟と呼べる聖フランシスコの兄弟・つながりになる。「バイ・返しは、しません」。きょう、学ぶ課題です。

2013年9月24日火曜日

来ーたッ。イシトク神父さん、オレと同じだ。キョウダイさ。

東京で、日本語の勉強をしているペトロ・イシトク神父さん(ルーマニア人)、来ーたッ。長崎で、修道会の集まりが、4日間にわたって、行なわれる。「やあ、また、ひさしぶりだな」。イシトク神父は、すぐに聖コルベ館へ挨拶にきた。兄弟だよ。スランシスコの兄弟だからね。喜び合って、しっかり、アクシュをした。今日は、朝から、集会で、忙しかった。ゆっくり出来たのは、夜の7時過ぎ。3度の食事のときは、いつも、すぐ前の席で食べた。食器の片付け、運んでくれた。ミサ、祈りのときも、近くの席にいた。「来年は、イシトク神父さんと、いっしょに、ルーマニアへ行こう。1週間の巡礼の旅だ。それまで、しっかり、日本語、じょうずになってね」「いっしょに、行く」「イモウト、チェチリアの家族で、ルーマニアの食事、たのむよ。楽しみにしているからね」。イシトク神父さんは満足そうに、ニコニコ、笑っていた。