2016年5月31日火曜日

うどん屋の今井君は、修練者として頑張っています

長崎の聖コルベ館を訪ねたら、写真を撮る場所が幾つか有ります。その1つが、玄関を入ったところにある「聖コルベの大きな額」と、聖コルベの木彫像です。「今井君、どう?」「ハイ、ゲンキでやっとります」。頼もしい若者です。皆さんも彼の将来のために祈ってください。
★今井君の隣にいる青色の洋服を着た人は、ホームの入江さんです。2人の写真を、わたしが撮りました。このように、ここで、この場所で、沢山の訪問者を撮ったものでした。なつかしいです。
★聖コルベ館を訪れたことがある人は、思い出すでしょう。コルベ神父は皆さんを待っている。「けがれなき聖母・愛と平和」「愛の花びらは、いつまでも枯れない」

2016年5月30日月曜日

聖コルベが呼んでいる。祈りなさい。心が安らぎます

ルルド祭りに参加したついでに、聖コルベ館を訪ねた。全然、変わっていない。自分がそこに今も勤めている感じがした。24年間も居た思いは、簡単に断ち切れない。展示物も、そのままでした。巡礼者、来館者が来ると、「いらっしゃい」と呼びかけたくなる。
★どうして自分は、ここに居れないのだろう、と考える。アタマと、クチだけは達者だが、身体的に色々と理由があった。それを説明する気には、今はなれない。
★中に入った。聖コルベの居室がある。内部の展示物も懐かしい。1つ、1つの展示物に、いわれがある。ここに置いている理由もある。女性が、1人、声をかけてきた。「まさか・・・小崎サンですか?」「ハイ、そうです」「え、えッ、お会いできてうれしい」と喜んでくれる。2年前の気持ちが、つながった。
★足腰が痛くなってもいいから、車椅子でもいいから、「やっぱり、ここに居りたい」。強い気持ちが湧いてくるのだった。
★ある若者が言った。「コルベ神父が呼んでいる・・・」。わたしが聞いた。「呼んでいるとは、どういうこと?」。すると若者は言った。「コルベ神父に祈りたい。コルベ館に入って、コルベの居室で祈った。こころが、安らぐんですよ」

2016年5月29日日曜日

長崎・聖母の騎士のルルド祭りに参加し、祈った日

長崎・聖母の騎士の恒例の、5月はルルド祭り。10月はロザリオ祭り。名前は違うが、信心の内容はいっしょ。雨のなか、ホームからも10数人が祈りに参加した。
★最初に、教会のなかでミサが行なわれた。(以前は、ルルドでミサがあった)。その後、祭壇に向かって左側に、聖母マリアのご像が安置されて、ロザリオの祈りが捧げられた。
★きょうのルルド祭りは、参加者が多かった。特に、市内の教会の子ども会や、シスターを目指す若い女学生たち、司祭をめざす神学生たちの集まりの姿が見られた。希望があふれる喜びです。
★きょうは聖体の祭日で、ご聖体を特にお祝いする日なのに、参加者が多くて、予定をしていたご聖体(ホスチア)が足りず、イエスはパンを増やす奇跡を行なったが、拝領の行列では中ほどから司祭はホスチアを小さく、小さく割って、皆さんに拝領させたのだった。
★お説教の中で、マリアさまへの信心、特にロザリオを唱えるようにお勧めがあった。長崎の信徒向けの話にピッタリの内容に大きな満足感を覚えた。
★お祈りしても、信心しても、困難や苦しみは生活のなかで起こる。マリアさまの生涯を見なさい。どれほど大きな苦難に満ちた生活だったか。しかも愛する一人子が十字架の磔になった。これ以上の苦難、悲しみがあっただろうか。信仰とは、そのなかにあっても、「みむねのままに」「成れかし」と、神の愛に信頼して全く委ねることです。心に幸せを感じる一日だった。
★なつかしい聖コルベ館で、昼食の弁当を食べた。特別に、修道院から、参加者に、「五島うどん」の差し入れがあった。五島から、信徒が来て、作ってくれた味のよい「うどん」だった。
★修道服を着て、教会や、坂道や、聖コルベ館に入ると、「ああ、このまま、ここで生活したい」と強く望みが起こった。胸が燃えるような想いだった。やっぱり、心は、残っている。

2016年5月28日土曜日

被爆の日記を読みながら、核兵器廃絶を叫びます

「オバマ米大統領・広島訪問」。今朝の新聞の一面に、大きな字が躍っている。それと並んで、「被爆者と対話」という字もあった。「被爆者」が一面に、デカッと、取り上げられる日だった。
★被爆者も老いて、姿を見るのも少なくなった。わたしは、17歳。当時から、メモするのが好きだったのか、原爆の日から日記を書いている。4日目に、隣の家族の、6歳の女の子が死に、次に、3歳の女の子が死に、13歳の男の子が死に、58歳で、祖父が死んでいる。日記を見て、当時を思い、「あまりにも悲惨だった、な」の感慨しかない。
★長崎の原爆資料館で、小・中・高の若者たちに、「原爆の体験」を、10年ほど続けたことがあったが、本当に、「原爆の怖さ、恐ろしさ、酷さ」が伝わっただろうか、と今、思う。
★被爆者も老いて、ますます居なくなる。「爆風、高熱、放射能」。原爆中心地から、2・3Kmのトンネル工場で被爆したが、すぐ爆心地から、500mの家まで帰った。歩いて、30分。そのときは、5時間かかった。17歳の年齢だから、現実をよく覚えている。トンネルから出た瞬間が最もおどろいた。入る前は、緑の山、田畑、家々があったのに、出て見ると、全く風景が変わっていた。燃える山に、家々。死傷者たち。破壊と、火と、煙のなかを恐怖で、歩いた。
★「二度と、こういう風景を作ってはならぬ。核の廃絶は人類の叫びだ」

2016年5月27日金曜日

住みやすいお家になるよう願います。協力して・・・

「絵てがみ」を描く日。きょうは何を描きますか?いつも課題に悩みます。先生が持参された、これ、なんですか?
★ホタル・ブクロといいます。ホタルって、夜、光る虫のことですね。ホタル・ブクロは、ホタルのお家って、イメージが湧きません。
★そういえば、ボクのお家は、ここ、ホームですね。住みやすいお家になるよう願っています。
★きょうは、昼食のとき、ちょっとしたトラブルがありました。食事を告げるアナウンスがあって、食堂の扉が開きます。車椅子の人が、6、7人並んでいる。その人がまず優先です。それから押し車の人、普通に歩ける人が入る。車椅子を押してあげるのは、慣れないと、押し加減が、むずかしいですね。
★列の最後頃になったので、ボクが車椅子の人を好意的に押してあげた。用心して、前をよく見て押します。上手に押さないと、前の人に当たるんですね。でも、やっちゃった。前の人の足に、車椅子が接触した。「ああ、痛ータ」といいますよ。「ごめんなさい」
★人を傷つけることは、大変な落ち度です。特にお年寄りの足や腕、肩は弱くなっている。少しの接触でも気にかかることです。「痛みますか。大丈夫ですか」。一応、職員さんと、看護師さんに伝えました。好意的に、車椅子を押してあげるときは、細心の注意が必要です。キモに銘じたきょうでした。

2016年5月26日木曜日

アンネのバラは今年も咲いた。戦争を無くす花です

食堂の、三度の食事をする、すぐ足元近くの、ガラス戸の屋外に、今年も、「アンネのバラ」が咲きました。やっぱり、きれいだな、と思いますよ。デジカメを自室まで取りに行きました。写して、おきたいと、心が惹かれます。色が、魅力的ですね。
★アタマの髪が伸びてきたので、理髪屋さんへ出かけた。2ヶ月に、1度はホームに来てくれるのだが、何やら、髪を切りたく思う。ホームの坂道をくだった、近場にあるのだが、歩いては行けない。タクシーを呼びました。この辺のタクシー料金は、510円です。もちろん、ワン・メーターで行きます。
★理髪屋さんは、すでに顔見知りです。1時間以上、かけて、ていねいに散髪してくれた。カットされながら、オバマ大統領の広島行きの話が出た。アメリカ人たちは、「戦争を早く終わらせるため」と「本土決戦になれば多くの死者が双方に出るから」と、原爆を正当化している。被爆者から言わせれば、「原爆の恐怖を体験すれば、人道的に、絶対に使うべきではない。無差別殺人だ」「しかし、一方では、それが戦争だ、とも言える。戦争したからには、勝たねば成らぬ。敵なら、殺しても、いい。それが恐ろしい」「原爆を作ったからには、どれほどの威力があるのか、試してみたい。そう思うのが人間だ」。とにかく、戦争、原爆は無くするべきだ。アタマを刈ってもらいながら、アタマで考えた。
★「アンネのバラは、何を語るだろうか」

2016年5月25日水曜日

朝の日の出。きょうも、1日、恵みのなかで、はじまる

同じ、自室に居ても、朝の感覚と、昼からの感じと、また夕食後、「教会の祈り」を唱えて、寝るまで、ホットする時間の気持ちは、各々違うのを感じます。
★朝、5時に起きて、身なりを整えて、5時25分には自室を出る。歩いて、100歩強、湯江教会です。5時40分から、修道者、信徒、共同で、「教会の祈り」の朝の祈りを唱える。幸せを感じるときです。6時に、集落全体に、チャイムがなりひびく。それと同時に、ミサが始まります。30人弱が参加する。
★6時40分、自室に戻る。ガラス戸をあけると、この光景です。「ああ、生きているな。ありがたいな」。そんな気持ちで、空に魅せられます。きょうも、始まる。ホームでも、いろいろ有ります。午前中、入浴しました。体力が変わらないのが、幸いです。
★三度の食事をいただいて、完食しています。食事に出る「たまご焼き」。これが、ウマイ。たしかに、ウマイ。栄養師さんに、「ウマイ、ね」と言ったら、「ダシを、カツオから、とっている」
★テレビで、「人生の終わり方」というのがあった。それを見ながら、メモしました。「いまは、『気力』。あとで、『安心』。これでクイは、ありません」