2013年4月30日火曜日

大晦日のパウロ君の旅立ち。韓国への旅立ち。さあ、出かけるぞ

2人が出発の朝、5時25分に起きる。パウロ君は、ウドン屋に勤めているので、朝が早い。慣れているので、早く起きた。修道者と一緒に朝のお勤めをする。声を大きく、祈りを称えた。ミサ、黙想、聖務の祈りなど、一連の祈りを終わって、朝食。昨夜、遅かった院長さんに挨拶をする。「岡山のパウロです。お世話になっています。5月1日の夜、夜行バスで東京へ。2日の朝、関町の修学院へ入会します」。パウロ君、いい思い出になったね。頑張ってね。とにかく、君には若さがある。20歳の出発だよ。祝福するよ。聖コルベ館に入会前に来てくれて、「ありがとう。祈っているよ」。朝食の後で、2人は聖コルベ館を出発した。岡山で、パウロ君を降ろして、付き添いの男性(運転)は神戸まで。安全運転で、帰れよ。こうして別れた。★いよいよ、午後3時、韓国への旅に出かけます。今夜は、列車で福岡へ。ホテルに泊まる。明朝、午前中に、福岡空港から、釜山へ向けて飛び立ちます。無事に帰れるように、祈って、助けてください。見守ってください。この旅が終われば、お恵みがあるでしょう。


2013年4月29日月曜日

大晦日のパウロ・うどん屋青年が来た。ホントかよ、嬉しいなあ

こんなことって、あるんですね。喜んでください。2011年12月31日の大晦日の日、閉館前に、滑り込みで来た岡山の青年・パウロが来た。「小崎サン、喜んでください。志願院へ入ります」「ええ、ホントう」。昼食後、3時まで自室で休んでいた。聖コルベ館へ出る。庭に、黒い軽が停まっている。「ン?」。玄関に待っていたのは、ウドン屋のパウロ君だった。「大晦日のパウロです」「え?本当に、来たの?」「ハイ」。嬉しい。大きな喜びだった。「ホントかよ」。手をにぎって、何度も、握手をした。あの日、大晦日の日、パウロ君と岡山の若者5、6人が来た。次に、2回目、付き添いの神戸の男性と2人で来た。そのとき初めて、コンベンツアル会に入会したいと知った。功のときに洗礼を受けた。神父さんが、「修道服を着て、スポーツする会を知っているか」「知らない」「聖母の騎士の会が、そうだよ」と教えられて、「その会に入りたい」と憧れるようになった。奨学金を返す為に、古本屋で働く。料理を覚えたいと、ウドン屋に勤めた。3月で、奨学金の全部を支払ったので、「よし、入会しよう」と決心したという。「よーく、がんばったな」。2日前に岡山を出て、平戸・生月・外海を周って長崎へ来た。軽のなかで寝ている。「今夜は修道院で、ゆっくり休みなさい」。夕べの祈り、夕食を一緒に果たして、共同休憩をして、入浴して、眠った。「マリアさまに抱かれて、安らかに眠れよ」

2013年4月28日日曜日

外海でお祝い。1日じゅう不在。オンナ部屋アネさんの思い出

郷土・出身の神父さんが、司祭除階の金祝を迎えるということで、外海・黒崎教会でお祝いのミサがあった。司祭として、50年を過ごすことは、大変なご苦労と責任もある。同じ郷土・出身の司祭や、修道士、シスターたち(奉献者)が20人ほど集まり、多くの教会の信者さんと共に、感謝の祈りが捧げられた。このミサと、その後で、海辺の会場に席を移して、奉献者たちで祝賀会が行なわれる。楽しい1日であった。司祭や修道者が、この道に入るのは、神さまからのお招きがある。それを感じてのことだが、入ったからには、本人の努力も必要であろう。周りの人たちの支えと、祈りも大切である。しかし強く感じたのは、「ふるさと」だった。みんなを育ててくれた「ふるさと」である。「ふるさとは、遠くにありて、思うもの」でなくて、「ふるさとは、近くにあって、慈しむもの、感じるもの」だった。★こんな思い出がある。父は、黒崎で生まれた。3男だったから、外地へ出稼ぎに出る。北朝鮮の地だった。都市、3万人の日本人のうち、カトリック信者は、父と母と自分の、たったの3人。キリスト信者である重圧さえ感じた。ところが15歳のとき、黒崎に帰ってきて、天主堂や、信者の家々を眺めたとき、言いようのない喜びを感じた。しかし、それは建物、家の感動であったが、それ以上に、人間の優しさ、愛に感動した。中でも、大きな印象を与えたのが、オンナ部屋のアネさんたちだった。その中でも、特に、優しく要理や賛美歌を教えてくれるアネさんがいた。ふっくらっとした顔、少し太めのカラダつき。そのアネさんの愛と名前を忘れない。このアネさんに押されて、修道士になったのかも知れないとさえ、思います。

2013年4月27日土曜日

永井先生の会からの招待。この旅で、気力、体力、快復するかも

《韓国の李・大司教さまからの便り》「5月1日が永井隆先生の命日で、5月4日には、第4回の韓国・如己愛人賞受賞式がある予定です。永井隆先生の遺徳を偲ぶ集いでありますので、修道士さまのご臨席は、こちらの行事にいっそう光栄を添えることと思います。通訳の便宜のため、ご講演の原稿を前もって、イ・メールでお知らせください」。★早速、JTB旅行社へ出かけて、航空券を求めた。福岡から、韓国・釜山へ。往復で、1万2千3百円というキップがあった。「安いね」と言われる。飛行時間は、50分。楽しみは、ふくらんできた。この旅で、永井博士との思い出が、深まるやも知れぬ。何か、この旅で、気力も、体力も、気持ちも、快復するような気がみなぎる。韓国で、どんな交流が待っているのか。楽しみだ。★出発は、4月30日と決めた。★永井隆先生の辞世の句。「白ばらの、花より香り立つごとく、この身を離れて、登り行くらん」。亡くなった日のことをよく覚えている。1951年、昭和26年5月1日、病状が急変する。午前9時40分に、浦上教会・聖ヴィンセンシオ会の青年・壮年たちが、タンカで担いで、住みなれた如己堂を後にした。浦上天主堂の下を通って、大学病院へ入院。その夜の、午後9時50分、「イエズス、マリア、ヨゼフ」と絶叫して、亡くなられた。43歳であった。最後の様子を、恩師の田川初治先生が、詳しく語って聞かせたし、騎士誌にも掲載した。永井先生は忘れられぬ恩師となる。

2013年4月26日金曜日

韓国からのお招き。3度目。腰をあげて出かけるか。ゲンキ出せ

《韓国への、これまでの旅》。①8年前に、ソウルへ、小神学校の同級生の「ダニエル・ノー神父」の墓参りに行った。②6年前に、テーグの李・大司教さまの所へ行った。釜山から入る。《最近の韓国からのお招きの便り》。③昨年3月、李・大司教さまからのお招き。「5月、永井博士の日、来韓、いかがですか」。李・大司教さまは、度々、聖コルベ館にも巡礼に来ている。(写真)。返事は「見送ります」。④昨年11月、李・大司教さまから再度のお招き。「韓国・如己の会の新年会に来ませんか」。返事は「見送ります」。⑤今年の3月、李・大司教さまから3度目のお招き。「5月に、韓国如己愛人会の受賞式がある。来ませんか」。これほどまでに、お招きを受けているのに、さあ、今度は、どうする?⑥返事をする時がきた。《健康状態は、どうですか?》さほど丈夫じゃない。しかし今のところは、不自由はしていない。秋になったら、どうなるか。先のことは、分からない。カラダを大事にするよりは、ゲンキなうちに、楽しい思い出を沢山つくろう。85歳が、折り返し点だ。いま、動けるなら、少々、ムリしても行動しよう。《重い腰をあげて、計画を立てよう。5月の連休にめがけて》。⑦旅行者は、2人。小崎修道士と、介護者の白浜忠美さん(男性・長崎・本河内教会信徒)⑧韓国・テーグで、永井隆先生の話。依頼されている。なんだか、カラダが、わくわく、してきたぞ。★旅行は、その都度、移動して行くから、その場でのチャンスは1回きりしか、ない。ジンセイだって、旅と、おんなじだ。だから、苦しみも、楽しみも、これ1回きりと思えば、乗り越えられる。★韓国への旅。これが成功すれば、あるいはカラダが上向きになるのでないか、そう期待もしている。昨年はタツ年。自分のトシなのに、入院6回、苦難の年だった。今年は、ゲンキになるかも。

2013年4月25日木曜日

日記を書くのが遅くなった。ゲンキにしています。心配なし

朝から、散髪へ行く。スッキリとなって、聖コルベ館へ戻る。2人の見学客がある。修道服を着ていない。姿を現すのを、遠慮していると、事務室をのぞいて、「小崎サンですか?」。問われて、ああ、こりゃ、ダメだ。観念して、「黒長イスの方へ、どうぞ」。話に相対する。千葉から来ました。同じ教会のもの同志。「小崎サンの本、読んで旅行している。写真を撮らせてください」の願い。「本を買ってくれたらね。サインもしているし、ね」。修道服を着ける。記念の写真。本は、1人が3冊、もう1人は2冊、買ってくれた。もう、お昼になる。午後から、ヘルパー男性がきて、入浴の介護をしてもらう。ゆっくり自室で休んだ。もう夕方になって、祈りの時間になりました。日記の記載が遅いと、「心配するわ」という人も居る。「ごめんなさい」。ゲンキにしています。庭に、ジャスミンの白い小さな花が咲きました。

2013年4月24日水曜日

聖母の騎士の長崎・上陸記念日。83年になる。ゼノさん命日

コルベ神父(36歳)、ゼノ修道士(38歳)、ヒラリオ修道士(24歳)、3人のフランシスコ会修道者の長崎・上陸の記念日です。昭和5年(1930年)4月24日、午後1時過ぎに、長崎丸(5.500トン)は、長崎港の出島岸壁に着いた。東欧ポーランドから、長い旅の終わりであった。写真、上は長崎丸。中は、左より、ゼノ修道士、コルベ神父、ヒラリオ修道士の3人が上陸した。上陸するや、真っ先に、大浦天主堂を目指した。下の写真は、当時の大浦の家々である。天主堂側から、海の方へ向かって写している。このような四角い2階建て、木造の家が込み合っていた。あれから83年が経過している。今朝の食事のときの話題は、これであった。★4月24日は、又、ゼノ修道士の命日にも当たっている。コルベ神父はポーランドへ帰国し、戦争中に殉教したが、ゼノさんは最後まで日本に留まった。戦後は福祉の面で活躍し、東京で亡くなった。90歳と4ヶ月であった。府中墓地に眠っている。ゼノさんの功績は忘れない。