長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2013年11月7日木曜日
ゲンキな中学生たちから、チカラをもらうよ。悪に負けるな。
2013年11月6日水曜日
見学者が熱心に見れば、空腹も何んのその。満足します。
2013年11月5日火曜日
むかし撮った写真に寄せて。海辺の祈り。真理の港へ
むかし、海辺の教会の写真を撮った。向こう側に、教会があって(よく見ないと、わからない)、それに添って、漁船が浮かんでいる。その手前には、女性たちが、捕れたサカナ「イリコ」を干していた。懐かしい写真だ。この風景は、忘れない。いつも、心に残っている。これには「海辺の祈り」と題をつけて、次の話を書いた。「フランスの青年が、フランスでも最もカトリック信仰が熱心なブルターニュ地方を旅した。ホテルの主人から、「海岸へ行って、漁師たちの出漁の様子を見なさい」と勧められる。見慣れた光景と思いつつも、海辺へ出てみた。すると漁師たちの信仰の深さに感動する。彼らは、出船にあたって、海岸にひざまずいて、祈るのであった。「おお、神よ、我が船は小さく、大海は広い。海のさなかにおいて嵐吹かば、わが船は必ず沈没せん。されば全能の神よ、我が小さき舟をまもり給え」。それを見た青年は、自分で祈りをつくって、唱えることにした。「全能の神よ、わが頭脳は小さく、知識は海の如く広い。かの海は、狂乱怒涛の如くして、我にとりて危うきなれば、神よ、我を守りて、安全に、真理の港へ導き給わんことを」。フランス青年は、その日、以来、「真理の港へみちびき給え」と祈りつづけた。それに応えて、神は、導き給うた。やがて、青年は司祭となり、日本へ宣教へきた。在日数十年、「巧みな日本語で、日本の文化人を魅了し、筆舌の活動をつづけたカンドー神父こそ、その人であった」。カンドー神父さまは著名な宣教師だった。「我々も、天国の港へ無事にたどり着けるようブルターニュの漁師に倣って、日々、祈り求めよう」
2013年11月4日月曜日
パソコンの調子が良くない。考えも、まとまらない。
連休の3日目になった。見学客が、少ない。寂しい思いをしている。資料室から、古い騎士誌を取り出してみた。1965年の騎士誌の合本だった。この年から、5年間、騎士誌の編集を手伝っている。当時、騎士誌の値段は、1部、15円。郵便料金が、6円だったから、実質、9円の騎士誌代だった。それでも、3万7千部発行されていた。子どもの頃から、家庭の新聞を作ったり、雑誌の編集に興味があった。だから、この頃から、毎号、身辺記事を書いている。編集長は、坂谷神父さん(故人)で、2人は気の合う仲だった。村岡神父さん(故人)の、クルマの事故を書いている。炭鉱の町・潜竜(せんりゅう)で、駅から少し外れたところに、トンネルがあった。トンネルを出たすぐのところに踏み切りがあった。その踏切で、クルマが汽車とぶつかった。鉄のカタマリの機関車に、50mも押されて、止まった。ふしぎなことに、きれいに押された格好で、横転していない。普通なら、横転か、跳ね飛ばされるのだが、クルマへの衝撃は、激しかった。機関車からクルマが外れない。おんぶされた形になっていた。枕木が3本、浮き上がって、ポッキリ折れる。「乗っているニンゲンは、大丈夫か」。村岡神父さんは、無意識のうち、アタマをモタ、モタと持ち上げて、がっくり、気を失った。40分たって意識が戻った。そのとき言った言葉が「やっぱり、汽車は、強かった」。警察署長は、神父さんにキツク説教したそうだ。「注意するんですぞ。神父さんだから、助かった。普通の人間なら、とても、命なんか、ありゃせん」
2013年11月3日日曜日
巨人が負けると、塩なし料理。いつも思い出される修道士。
昨夜、野球の日本シリーズがあった。楽天と、巨人。あと1勝すれば、楽天が優賞。地元・仙台の球場で、試合は盛り上がった。強いものには、応援しない。弱いものに、応援したくなる。それが気性だから、仕方がない。当然、楽天に勝たせたい。いよいよ試合が始まった。テレビを見ていた。「おお、いいぞ」。楽天が、点を入れる。「よし、よし」。しかし試合の中途で、巨人が点をいれて、雰囲気が逆転した。「ああ、もう、試合は、見られない」。負けた試合を見ると、心臓によくない。結局、やっぱり巨人は強いな。底チカラが、ある。最初は負けていても、最後は必ず勝つのが、巨人。だから巨人は、スカン。あとの試合は、どうなったか、見なかった。楽天の逆転は、ないだろう。今朝、早朝のラジオで、楽天が負けたと、知った。「ああ、やっぱり、ザンネンだったな」。日曜日。ミサが終わって、朝食の食卓に、6人がいた。「巨人が、勝ったね」。野球の話が出た。食卓には、ほとんど野球の話は出ないのだが、今朝は、めずらしく出た。長崎では、巨人の話が出ると、その、つながりで、必ず、1人の修道士さんの名前が出る。巨人のダイ・ファンで、彼は炊事の担当だったが、巨人が負けると、おかずに影響した。手元が狂って、塩を入れない。入れたかと思ったら、2倍も、3倍も入れる。当時、食卓には、20人以上の数があった。巨人が勝って、困るのは、みんなだった。今朝の食卓にも、その修道士さんの名前が出たというわけだ。「彼は、71歳で亡くなった。いま生きておれば、87歳になる」「ああ、もう、そんなに、なるか」。今朝は、巨人が勝ったことで、その修道士さんが思い出された。外海出身の、話題の多い修道士さんだった。
2013年11月2日土曜日
死者から多くの恩を頂いた。祈りで心をつないで、感謝。
11月2日は、カトリックでは、死者の日を祈ります。朝、ミサと、聖務日課で祈りました。多くの人と死に別れがあった。父の病死。母の原爆死。伯父さん、叔母さん、ポーランド人の修道者たち、最近では、親友の死もあった。数え切れない人の死を見送っている。どれほど多くの恩を受けたことだろう。コルベ神父からイノチをもらった男性は言った。「恩は、もう、あの人には返せない。ならば、別の人に、別の所で返していく」。この言葉には真実がある。★死んだ人のために祈るが、大事なのは、生きていることだろう。生き抜くことだ。ジンセイって、何だろう、と考える。85にもなって、振り返って思うと、結局、人生は、「①出会いであり、②才能を伸ばすことであり、③幸せになる、それに尽きる」この3つに集約される気がする。沢山の人に出会ってきた。いい出会いは、幸い、傷つく出会いは、痛み悲しい。持っている才能を伸ばして、自分を確立していく。好きこそ、ものの上手なれ、という。人生は、幸せでありたい、誰もが、そう願っている。それでも、幸せは、各人の価値観によって、異なるだろう。派手な生き方、好まない。質素で、いい。それでも、本当の幸せを求めたい。何処に、ある?幸せは、心の安らぎと、祈って、希望を持つ信仰にあると、いまは思っています。
2013年11月1日金曜日
11月は死者の月。支えてくれたヨシエさんは神に召された。
1枚の写真が送られてきた。裏の日にちを見ると、2005年8月14日。聖コルベの祭日に写している。よく考えてみると、この日、管区をあげて、聖コルベが長崎へ上陸した75周年をお祝いしていた。セルギウス修道士さんは、まだ健在であった。聖コルベの思い出を語った。フランシスコ中村修道士さんも、長崎で頑張っていた。いまは老人ホームで静養している。写真の青色の服、岩本ヨシエさん、今年の7月に、91歳で亡くなった。セルギウスさんの左側が、娘の八智子さん。ヨシエさんが神に召されたのは、大きなチカラ落としであった。もう40年程前に、広島から、オラッショの旅に参加された。それがご縁で、長い付き合いがつづいていた。ヨシエさんは全くお医者さんに罹ったことがない。でも今年、カラダの調子が思わしくなく、お医者さんへ行くと、腹水がたまったいた。ご本人も、お腹に水が溜まるようでは、先が短い、と言っておられた。それから、もう神さまに召されるのを覚悟しておられたのであろう。信仰について、「わからん、わからん」と言っておられたが、安心した最後だったと、娘さんが知らせてくれた。11月に入った。この月は、カトリックでは死者の月と呼ばれて、祈ることが勧められる。最近、亡くなった方が多く居られる。彼らの平安を祈ります。
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