2013年11月7日木曜日

ゲンキな中学生たちから、チカラをもらうよ。悪に負けるな。

関西から、中学生、100人が修学旅行でやってきた。振り返れば、今年も、いろんな学校がやってきたが、この中学生たちは、感心するほど、聖堂での態度がよかった。先ず聖堂の入口で、列に並んで、1人、1人が、ていねいにお礼をしながら、静かに入ってくる。全員が揃うまで、みな静かに席で待っている。中学生って、やんちゃじゃないですか。それが神妙にしている。先生に聞くと、学校にも聖堂があって、このように静かに入る習慣が出来ている、という。「たいしたモンだね」。こちらも、話にチカラが入るよ。中学生たちに混じると、彼らから、若いパワーをもらうね。ゲンキがでるよ。古いアルバムを見ていたら、この中学校は、1984年から聖コルベ館に来ている。もう30年だよ。生徒は先生になって、この学校に勤めて、生徒を指導して参加している。来る学校もリッパだが、それを受けてきた我々も、長い歴史があるなと、あらためて感じた。「困った人を、助ける人になりなさい」「困難が来ても、逃げるな。逃げても、解決しない」「世の中には、イヤに思うニンゲンも、居る。受け入れるのは、なかなか難しい。解決できないときは、1人で、考えこまない方が、いい」。中学生たちは、今夜は稲佐山から、夜景を眺めるという。ちょっと、雨模様だね。きれいに見えると、いいね。「いい思い出を、沢山、つくれよ」
 


2013年11月6日水曜日

見学者が熱心に見れば、空腹も何んのその。満足します。

昨夜の6時半から、7時半まで、聖コルベ館を見学した、インド人司祭の皆さんです。別れしなに写真を撮ったとき、1人が言った。「ブログに載せるの?」。どうやら『日記』を知っているらしい。「ええ、まあ」とお茶をにごしていた。ここに載せることにしたのは、1つのストリーを見つけたからです。★実は昨日は、歯科医院の予約診療が、11時半からだった。遅いよ。とうとう昼ご飯は、食べずじまいだった。耳鼻科や、ふとん屋へ寄って、3時近くに帰った。しばらく休んで、お祈りが始まる。ロザリオと聖務日課のお勤めを果たした。修道士は祈らなければ、食べられない。6時半から夕食となった。「昼、食べていないから、夕べは、ゆっくり、十分に食事が出来るだろう」。期待して、食卓に付いていたら、すぐに、チャイムが鳴った。「遅くなったけれど、ぜひ見学させてほしい」とのお願いです。「ああ、ザンネン」が心のなか。席を立って、聖コルベ館へ向かった。★入館無料の聖コルベ館は、年中無休で、盆も正月もない。なぜ、って、同じ敷地に生活しているからです。毎日、9時に開館し、5時に閉まる。ただ、その前後は、祈りのお勤めがあるから、開けられない。それに小崎修道士は、祈りも、食事も、共同のお勤めを欠かすのを嫌がっています。しかし昨夜は、インドからの司祭と聞いて、開けました。1人がインドからのお客さん。オーマンで働いている。日本旅行10日間。46歳。フランシスコ・カプチノ会。2人は友だちで、日本に長年、在住。修道士は、お客さん司祭に聞いた。「コルベ神父、知っていますか」「前に読んだ。宣教師。インドにも行った。生涯に、感動。友のため命をささげた」「最も大切なこと、何ですか」「聖人から学ぶこと。伝える人になることです」「聖人とは、どんな人?」「福音を生きる人」。資料の並ぶ各場所で、旅の司祭は自分を入れて写真を撮っていた。夜、遅かったが、彼らは、ゆっくり、ていねいに見てくれた。それで十分です。とうとう夕食は、食べなかったが、満ち足りた気持ちで、安らかに眠った。今朝の体重、0.1kgだけ減っていた。


2013年11月5日火曜日

むかし撮った写真に寄せて。海辺の祈り。真理の港へ

むかし、海辺の教会の写真を撮った。向こう側に、教会があって(よく見ないと、わからない)、それに添って、漁船が浮かんでいる。その手前には、女性たちが、捕れたサカナ「イリコ」を干していた。懐かしい写真だ。この風景は、忘れない。いつも、心に残っている。これには「海辺の祈り」と題をつけて、次の話を書いた。「フランスの青年が、フランスでも最もカトリック信仰が熱心なブルターニュ地方を旅した。ホテルの主人から、「海岸へ行って、漁師たちの出漁の様子を見なさい」と勧められる。見慣れた光景と思いつつも、海辺へ出てみた。すると漁師たちの信仰の深さに感動する。彼らは、出船にあたって、海岸にひざまずいて、祈るのであった。「おお、神よ、我が船は小さく、大海は広い。海のさなかにおいて嵐吹かば、わが船は必ず沈没せん。されば全能の神よ、我が小さき舟をまもり給え」。それを見た青年は、自分で祈りをつくって、唱えることにした。「全能の神よ、わが頭脳は小さく、知識は海の如く広い。かの海は、狂乱怒涛の如くして、我にとりて危うきなれば、神よ、我を守りて、安全に、真理の港へ導き給わんことを」。フランス青年は、その日、以来、「真理の港へみちびき給え」と祈りつづけた。それに応えて、神は、導き給うた。やがて、青年は司祭となり、日本へ宣教へきた。在日数十年、「巧みな日本語で、日本の文化人を魅了し、筆舌の活動をつづけたカンドー神父こそ、その人であった」。カンドー神父さまは著名な宣教師だった。「我々も、天国の港へ無事にたどり着けるようブルターニュの漁師に倣って、日々、祈り求めよう」

2013年11月4日月曜日

パソコンの調子が良くない。考えも、まとまらない。

連休の3日目になった。見学客が、少ない。寂しい思いをしている。資料室から、古い騎士誌を取り出してみた。1965年の騎士誌の合本だった。この年から、5年間、騎士誌の編集を手伝っている。当時、騎士誌の値段は、1部、15円。郵便料金が、6円だったから、実質、9円の騎士誌代だった。それでも、3万7千部発行されていた。子どもの頃から、家庭の新聞を作ったり、雑誌の編集に興味があった。だから、この頃から、毎号、身辺記事を書いている。編集長は、坂谷神父さん(故人)で、2人は気の合う仲だった。村岡神父さん(故人)の、クルマの事故を書いている。炭鉱の町・潜竜(せんりゅう)で、駅から少し外れたところに、トンネルがあった。トンネルを出たすぐのところに踏み切りがあった。その踏切で、クルマが汽車とぶつかった。鉄のカタマリの機関車に、50mも押されて、止まった。ふしぎなことに、きれいに押された格好で、横転していない。普通なら、横転か、跳ね飛ばされるのだが、クルマへの衝撃は、激しかった。機関車からクルマが外れない。おんぶされた形になっていた。枕木が3本、浮き上がって、ポッキリ折れる。「乗っているニンゲンは、大丈夫か」。村岡神父さんは、無意識のうち、アタマをモタ、モタと持ち上げて、がっくり、気を失った。40分たって意識が戻った。そのとき言った言葉が「やっぱり、汽車は、強かった」。警察署長は、神父さんにキツク説教したそうだ。「注意するんですぞ。神父さんだから、助かった。普通の人間なら、とても、命なんか、ありゃせん」

2013年11月3日日曜日

巨人が負けると、塩なし料理。いつも思い出される修道士。

昨夜、野球の日本シリーズがあった。楽天と、巨人。あと1勝すれば、楽天が優賞。地元・仙台の球場で、試合は盛り上がった。強いものには、応援しない。弱いものに、応援したくなる。それが気性だから、仕方がない。当然、楽天に勝たせたい。いよいよ試合が始まった。テレビを見ていた。「おお、いいぞ」。楽天が、点を入れる。「よし、よし」。しかし試合の中途で、巨人が点をいれて、雰囲気が逆転した。「ああ、もう、試合は、見られない」。負けた試合を見ると、心臓によくない。結局、やっぱり巨人は強いな。底チカラが、ある。最初は負けていても、最後は必ず勝つのが、巨人。だから巨人は、スカン。あとの試合は、どうなったか、見なかった。楽天の逆転は、ないだろう。今朝、早朝のラジオで、楽天が負けたと、知った。「ああ、やっぱり、ザンネンだったな」。日曜日。ミサが終わって、朝食の食卓に、6人がいた。「巨人が、勝ったね」。野球の話が出た。食卓には、ほとんど野球の話は出ないのだが、今朝は、めずらしく出た。長崎では、巨人の話が出ると、その、つながりで、必ず、1人の修道士さんの名前が出る。巨人のダイ・ファンで、彼は炊事の担当だったが、巨人が負けると、おかずに影響した。手元が狂って、塩を入れない。入れたかと思ったら、2倍も、3倍も入れる。当時、食卓には、20人以上の数があった。巨人が勝って、困るのは、みんなだった。今朝の食卓にも、その修道士さんの名前が出たというわけだ。「彼は、71歳で亡くなった。いま生きておれば、87歳になる」「ああ、もう、そんなに、なるか」。今朝は、巨人が勝ったことで、その修道士さんが思い出された。外海出身の、話題の多い修道士さんだった。

2013年11月2日土曜日

死者から多くの恩を頂いた。祈りで心をつないで、感謝。

11月2日は、カトリックでは、死者の日を祈ります。朝、ミサと、聖務日課で祈りました。多くの人と死に別れがあった。父の病死。母の原爆死。伯父さん、叔母さん、ポーランド人の修道者たち、最近では、親友の死もあった。数え切れない人の死を見送っている。どれほど多くの恩を受けたことだろう。コルベ神父からイノチをもらった男性は言った。「恩は、もう、あの人には返せない。ならば、別の人に、別の所で返していく」。この言葉には真実がある。★死んだ人のために祈るが、大事なのは、生きていることだろう。生き抜くことだ。ジンセイって、何だろう、と考える。85にもなって、振り返って思うと、結局、人生は、「①出会いであり、②才能を伸ばすことであり、③幸せになる、それに尽きる」この3つに集約される気がする。沢山の人に出会ってきた。いい出会いは、幸い、傷つく出会いは、痛み悲しい。持っている才能を伸ばして、自分を確立していく。好きこそ、ものの上手なれ、という。人生は、幸せでありたい、誰もが、そう願っている。それでも、幸せは、各人の価値観によって、異なるだろう。派手な生き方、好まない。質素で、いい。それでも、本当の幸せを求めたい。何処に、ある?幸せは、心の安らぎと、祈って、希望を持つ信仰にあると、いまは思っています。


2013年11月1日金曜日

11月は死者の月。支えてくれたヨシエさんは神に召された。

1枚の写真が送られてきた。裏の日にちを見ると、2005年8月14日。聖コルベの祭日に写している。よく考えてみると、この日、管区をあげて、聖コルベが長崎へ上陸した75周年をお祝いしていた。セルギウス修道士さんは、まだ健在であった。聖コルベの思い出を語った。フランシスコ中村修道士さんも、長崎で頑張っていた。いまは老人ホームで静養している。写真の青色の服、岩本ヨシエさん、今年の7月に、91歳で亡くなった。セルギウスさんの左側が、娘の八智子さん。ヨシエさんが神に召されたのは、大きなチカラ落としであった。もう40年程前に、広島から、オラッショの旅に参加された。それがご縁で、長い付き合いがつづいていた。ヨシエさんは全くお医者さんに罹ったことがない。でも今年、カラダの調子が思わしくなく、お医者さんへ行くと、腹水がたまったいた。ご本人も、お腹に水が溜まるようでは、先が短い、と言っておられた。それから、もう神さまに召されるのを覚悟しておられたのであろう。信仰について、「わからん、わからん」と言っておられたが、安心した最後だったと、娘さんが知らせてくれた。11月に入った。この月は、カトリックでは死者の月と呼ばれて、祈ることが勧められる。最近、亡くなった方が多く居られる。彼らの平安を祈ります。