2012年5月7日月曜日

1年ぶりの再会。津和野の清さん。教会・資料館の案内人

開館と同時に、津和野からのお客さん。「おお、大谷清さんじゃないか。1年ぶりだね」。同行者は熊本の高木さん。津和野(島根県)へ出かけて、乙女峠祭りに参加して、清さんを連れてきた。2泊3日の長崎の旅。清さんは、津和野教会の資料館の案内係りを勤めている。女性は津和野の地元の人。私は昨年の5月、津和野へ行って、清さんにお世話になった。身体が不自由なため、幼児の頃から苦労が絶えない。「自分のからだは、どうにもならない。悩んでも、仕方がない。生活はどうにかなるでしょう。それで1日、1日を、感謝して、精いっぱい生きる。人生、七転び、八起き、です」。大谷清さんのことは忘れない。「人間は弱い存在です。信仰があっても、忘れて、怒ったり、欲があったり、そっちの方になびいてしまう。また信仰すると、悪い心から開放される。小崎さん、教会に行って、祈っているよ」「おお、それは良かった。がんばってな」。私が去年、津和野へ行ったとき、資料館の案内はするが、ミサや祈りに姿がない。皆さん、寂しがっていた。それが、教会で祈りをする、と打ち明ける。辛いことや、傷ついたことも、人知れず有ったのだろう。「生きるのは恵みであるが、辛いことも沢山ある。お互いに、がんばろうね」

2012年5月6日日曜日

子供の日。山の養護施設で過ごす。顔なじみに出会った

久しぶりに山の施設へ出かけた。イベントがあり、賑わった。以前、私はこの施設で、子供たちと、2度にわたって過ごしている。1度目は終戦後まもなくで、私は療養しながら、11年間暮らした。この頃は食料不足で、食べ物は少なく、誰もが、お腹を減らしていた。食料を盗んだり、よく事件が起こった。中卒は「金のタマゴ」と呼ばれ、就職列車で、関西方面へ旅たって行った。2度目は、それから20年後で、校長になって6年間勤めた。この頃は学校崩壊といわれた80年代で、「キレル」とか、「ムカツク」などの言葉が流行った。山を去って、20年が流れた。時々、施設の行事には来ていたが、最近はご無沙汰している。シスターや先生、園長さんが、「おお、いい顔しているじゃないの」と喜んでくれた。昔、厳しく子供たちに当たったことが悔やまれる。今の施設の声は明るい。風も爽やかだ。半日、山の空気に癒された。いつの時代も、施設の子供たちは、家族の愛から遠い、寂しい境遇にある。この子供たちを、いかに幸せに育て、夢を持たせるか。職員や教師たちは希望を失うことなく、努力の日々がつづいているのを感じた。

2012年5月5日土曜日

岡山の青年は、大晦日、閉館まえに滑り込みのパウロだった

「小崎さん、ひさしぶり」と、岡山から連休に青年がやってきた。「きみ、だれ?」「去年の12月31日の聖コルベ館が閉館まえに来た者です。岡山のおみやげ持って来ました」「やあ、ありがとう。元日の閉館まえに、母と娘が来たが、2011年12月31日、大晦日に、閉館まえに君が来たんだね」「ハ、ハ、ハ」と若者は笑っていた。「若者たち、5人で来ました。ボクは小崎さんの説明を聞いて、聖母の騎士の修道者になりたいと思っています」「ほんとう」。元日の母は、エリザベト。大晦日の青年は、パウロ。洗礼を受けて、2年目。いまは、ウドン屋で働いている。「岡山なら、讃岐ウドン」「ハイ」。素直そうな19歳の青年だ。「十七歳の夏」を本屋で求めて読みました、と本を見せた。サインをしてあげた。喜んでいる。希望があるな、と若者の顔を見詰めた。神はどのように導かれるか分からない。彼は言う。「修道服を着て、バッターを打って、スポーツしている写真を見た」そうだ。教会の神父さんに、「これが、いい。心ひかれる」と言ったら、「聖母の騎士、フランシスコへ行きなさい」。それで「聖母の騎士に憧れています」と、今どきの若者じゃないような、ウドン青年は言うじゃないか。いっぺんに好きになったよ。「住所と、名前を書きなさい」。大晦日のパウロよ、ブログ(日記)に載せるからな、と言ったら、喜んでいた。ほかに仲間が2人。今日、午後、岡山へ車で帰る。★大晦日のパウロよ、コメント、ありがとう。信仰を期待しているぞ。

2012年5月4日金曜日

日曜ミサ説教で、小崎修道士の話が出たと教えた訪問客

昨日はビックリした。今は連休だから、聖コルベ館にも見学者が来ている。東京から61歳の写真の男性がやってきた。彼は、結婚の後、子供がカトリック幼稚園に通うようになって、家族で洗礼を受けたという。私と、そこまで会話が進んだのは良かったが、彼が更にポツリと言った。「日曜日のミサの説教で、神父さんが、小崎(修道士)さんの尿が出なくなって、ご聖体を受けた瞬間、出始めた話をした」と。「え?」っと、それを聞いて、ビックリするやら、嬉しいやら。「小崎と言っても、信者さんは私のこと、知らんでしょう」「イヤ、騎士誌など読んでいるから、知っています」。私が「その神父さん、外国人?日本人?」と聞くと、「日本人の神父さんです。神父さんは言った。どこの病院か知らないが、朝から司祭が、チリン、チリンと鈴をならしてくる。さすが長崎です。東京じゃ考えられない」。その話に合わせて、「水害で、押し流された女性が、不思議のメダイで助かった話も合わせて説教した」と男性は教えてくれた。その神父さんは騎士誌を読んでいるんですね。「エライなあ」と思いました。「教えてもらって、よかったよ」。私は思うんです。沢山の人から拍手されるよりも、1つ、1人の出会いを大切にし、何かのご縁を見つけていきたい。この男性との出会いも、その実例のような気がした次第です。

2012年5月3日木曜日

憲法記念日。ポーランド国も憲法記念日だった。平和の教え

思い出した。今日は、ポーランド国も憲法記念日だった。ローマン修道士から、その話を聞いていた。写真の右は、長崎で聖母の騎士を作ったポーランド人の面々である。コルベ神父が日本を去るときに、記念に写した。ポーランド人にはお世話になったご恩がある。この写真で、後ろの左に目立たないように居るのがローマン修道士。ポーランドの旗は、日本と同じ、白、赤、ですよ。左側、ローマン修道士が手にしている国旗には思い出がある。太平洋戦争が始まる前、東京のポーランド大使館の一行は長崎へ来て、修道院でミサに祈り、大使館に飾られていた国旗を、修道院に残したのだった。「戦争のない、平和の時代に戻るまで、この国旗を守ってください」。コルベ神父が去るとき、大人数のポーランド人修道者が居たが、いま残るはローマン修道士のみとなった。戦争が終わって50年が経った頃の1999年4月11日。ポーランド大使館の事務官が修道院を訪ねたので、ローマン修道士は、預かっていた国旗を返却したのだった。私は思う。このようなエピソードは決して忘れてはならぬ。いま思って、こうした個々のエピソードを自分の筆でまとめておくことが必要だった。文字で残すことが大切だ。私は何かに書いたように思うが、見出せなかった。ただ、国旗を持ったローマン修道士の写真を聖コルベ館のアルバム(20巻)のなかから探したのは、勲章ものだった。ローマン修道士は97歳で、老人ホームに健在です。たった1人になって、寂しかろう。いつまでも元気で居てください。5月5日、子供の日に、騎士園(養護施設)へ行った帰りに寄りますからね。

2012年5月2日水曜日

ふしぎなこと、考える。なぜ、なんだ?ああ、生かされている

人生には、わからないことが、沢山ある。①例えば、少年の頃、一所懸命祈っていた浦上天主堂の真上に、なぜ原爆が落ちたのか。わかりません。②コルベ神父が、あの餓死の地下室で、最後まで生きていたのか。これも、わかりません。世の中には、わからないことが、一杯ある。その中を、泳ぐように、生きているわけです。「すごく、ふしぎなこと、あるか?」。そりゃ、誰の人生にも、ふしぎなこと、あります。③全体的に言って、いま自分が生きていること、これは、ふしぎです。歳をとれば、よく実感できることです。④特に、今年は、尿が急に出なくなって、ビックリしました。あの結石を見たとき、またビックリです。それが、1つ、1つ、解決していく、ふしぎでは、ないですか。退院してから、カラダの調子は、良好のようです。先のことは、わかりませんけどね。⑤「ふしぎ」と言えば、すぐ思い出すのが、ポンコツ軽での、トンネル故障です。5年ほど前の話ですが、忘れない。片道一車線、高速道路、3つも長いトンネルがつづく。そのトンネルの中で、軽が、すーっと、気合が抜けたように、馬力がなくなった。走らない。エンストしたら大変ですよ。ダリョクで、スルスルと行って、何とかトンネルを出て、幸い、そこに路肩があった。ここに車を止めた。高速の車を止めようと、手を振るが、車は一向に止まらない。携帯も持たない。すると1台が止まった。「携帯を貸してください」「持ちません。でも、エス・オー・エスの電話がそこに有るじゃないですか」。全く気が付かなかったが、すぐ傍に、緊急の電話があった。これも幸運だった。30分ほどで、ジャフの救援クルマが来て、運ばれて、修理工場へ。後部座席の下の線が切れていた。こうして何事もなく助かった。あのとき、トンネル中央で、エンストしていたら、どうなったか、考えると、冷や汗ものだった。ふしぎに助かる。ある宗教団体の信徒は「それは『妙の世界』です」と言った。まあ、これも導きですよね。

2012年5月1日火曜日

聖母月はじまる。マリアさまのご保護を願う

5月は、聖母マリアを特別に賛美する月です。聖母の騎士では、夕方のお勤めは、広い方の教会で、祭壇に灯明をともして、ロザリオを唱え、聖マリアの連祷、カトリック聖歌集から「むかしの賛美歌」を歌いながら、マリアさまを称えています。昔はアカデミアといって、みんなが集って、歌や、論文や、詩を奉げたものでした。今は人数が少なくなって、寂しくなった。マリアさまと、長崎信者、長崎教区は深いご縁がある。キリシタンたちは、マリアの絵を隠し、秘かに信仰を守って、7代にわたって伝えた。信仰の復活も、大浦天主堂で、「サンタ・マリアのご像は、どこ?」と、マリアさまによって導かれた。個人の信仰でも、マリアさまから守られ、助けられた実話は沢山ある。コルベ神父は「けがれなき聖母マリアに、全生涯を完全に奉献し、マリアさまの道具、騎士になって働きたいと願った。マリアさまに近づくのが、イエスに近づく最も近い道であると説いた。ふしぎのメダイを身につけるカトリック信者のための騎士会も創立した。あさ、私たちも、この月に、もっとマリアさまに祈り、ご保護を願い、イエスの如く生きるようお願いしよう。難しいことは考えなくて、よい。宗教は信心なり。これを忘れては、いけない。祈ること。理屈でなく、実行が大切です。「この世の苦しみは、そう簡単には無くならない。ただ、お互いに、助け合って、兄弟として、愛しなさい、と説く。『父の命令は、永遠のいのちである』(ヨハネ12-50)」