2014年8月9日土曜日

長崎・原爆の日。69年前。母ワサ爆死。45歳。無念。

★毎年、めぐり来る長崎・原爆の日。今年は、もう69年を重ねる。あの朝、忘れない。母と一緒に、起きて、朝めしを食べて、出かける挨拶。「行って、来るケンな」。母は寂しそうに答えず。家の外に出て、もう1度、「行って、来るよ」。だが、返す言葉は聞き取れず。ただ、目と、目があって、母が、ニコッと笑ってくれた、それが母を見た最後となった。★母ちゃん、苦労をかけたな。父が病死して、10年。1人っ子。ボクを育ててくれた。女手1つで、細腕で、女は、母は強かった。母の思い出。着物を着ていた姿だね。自分でも、着物を縫っていた。食料不足の戦争中、あち、こちから、コメ、ヤサイを調達して、不自由なく食べさせてくれた。★戦争だよ。原爆だよ。それらが無かったなら、母は死なずによかったのに、犠牲になったわけだ。戦争を恨むよ。原爆、2度と落ちるな。核兵器廃絶、叫びたいよ。★今朝は、ミサで、原爆で亡くなった人びとのため、母クララ・ワサのため、祈った。浦上天主堂の、被爆マリア小聖堂の壁に、原爆死をした信徒の名前が刻まれているが、母の名もある。45歳。若くして召された母の人生、惜しまれてならない。「母ちゃん、歳をとらず、いつまでも、若いなあ」

7 件のコメント:

  1. † お母さまであるクララ・ワサ様が、全ての戦没者とともに、永遠の安息に与れますように。また、お母さまが、私たちのために、イエスさまやマリアさまに執り成して下さいますように。Ave Maria.

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  2. 小崎様。先日台風の中を資料館に伺いお話させていただいた者です。これからも長崎とコルベ神父のことを考えていきたいと思います。ありがとうございました。

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  3. 仕事中でしたが、心の中で祈りました。
    あんなひどいこと、二度とないように、苦しみを分かち合えるように、祈ります†

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  4. Koko from Texas2014年8月9日 12:33

    天国で ご両親様に 再会できますね。又 コルベ神父様 イエス様にも 私たち お会いできますね。平和と平安のため お祈りします。精一杯生きよ 色紙に書かれていましたね。生きることに 感謝。生かされて感謝。 こちらの 友人たちと 広島 長崎のため お祈りしました。又 アメリカのためにも 祈りました

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  5. マリア・フランチェスカ2014年8月9日 17:22

    コルベ館で小崎さん、浦上教会出身の友と出会い
    8月9日、祈りの内に過ごすようになりました。
    クララ・ワサ様のニコッとなさった笑顔
    お二人を思うと心が苦しいです。
    神様、残酷な私達の罪どうぞおゆるし下さい。
    神の子、主イエス私達を憐れんで下さい。
    マリア様、私達のためにお祈り下さい。

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  6. 今朝 10人の 友人から お電話いただきました。長崎のある方から 永井隆先生のご本 "長崎の鐘"の英語版を 送って頂き お配りした方々です。先生の原子爆弾合同葬弔辞 を 謙虚に 拝読し 言葉になりません。 本当に たゞ沈黙。 最後にある方が 2000年以上 イエス様を信じて生き抜いてきたイラクの人たちを思い 長崎に 思い 又 このご本を 家族と 一緒に 読ませて頂きますと 言われました。 私の親戚も 長崎医大で その日に なくなりました。医学部1年生でした。

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  7. 今日 このイラクの 方々は 困難な道を歩んで います。原爆のニュースと一緒に 何度も放送されました。

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