長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年8月9日土曜日
長崎・原爆の日。69年前。母ワサ爆死。45歳。無念。
★毎年、めぐり来る長崎・原爆の日。今年は、もう69年を重ねる。あの朝、忘れない。母と一緒に、起きて、朝めしを食べて、出かける挨拶。「行って、来るケンな」。母は寂しそうに答えず。家の外に出て、もう1度、「行って、来るよ」。だが、返す言葉は聞き取れず。ただ、目と、目があって、母が、ニコッと笑ってくれた、それが母を見た最後となった。★母ちゃん、苦労をかけたな。父が病死して、10年。1人っ子。ボクを育ててくれた。女手1つで、細腕で、女は、母は強かった。母の思い出。着物を着ていた姿だね。自分でも、着物を縫っていた。食料不足の戦争中、あち、こちから、コメ、ヤサイを調達して、不自由なく食べさせてくれた。★戦争だよ。原爆だよ。それらが無かったなら、母は死なずによかったのに、犠牲になったわけだ。戦争を恨むよ。原爆、2度と落ちるな。核兵器廃絶、叫びたいよ。★今朝は、ミサで、原爆で亡くなった人びとのため、母クララ・ワサのため、祈った。浦上天主堂の、被爆マリア小聖堂の壁に、原爆死をした信徒の名前が刻まれているが、母の名もある。45歳。若くして召された母の人生、惜しまれてならない。「母ちゃん、歳をとらず、いつまでも、若いなあ」
登録:
コメントの投稿 (Atom)
† お母さまであるクララ・ワサ様が、全ての戦没者とともに、永遠の安息に与れますように。また、お母さまが、私たちのために、イエスさまやマリアさまに執り成して下さいますように。Ave Maria.
返信削除小崎様。先日台風の中を資料館に伺いお話させていただいた者です。これからも長崎とコルベ神父のことを考えていきたいと思います。ありがとうございました。
返信削除仕事中でしたが、心の中で祈りました。
返信削除あんなひどいこと、二度とないように、苦しみを分かち合えるように、祈ります†
天国で ご両親様に 再会できますね。又 コルベ神父様 イエス様にも 私たち お会いできますね。平和と平安のため お祈りします。精一杯生きよ 色紙に書かれていましたね。生きることに 感謝。生かされて感謝。 こちらの 友人たちと 広島 長崎のため お祈りしました。又 アメリカのためにも 祈りました
返信削除コルベ館で小崎さん、浦上教会出身の友と出会い
返信削除8月9日、祈りの内に過ごすようになりました。
クララ・ワサ様のニコッとなさった笑顔
お二人を思うと心が苦しいです。
神様、残酷な私達の罪どうぞおゆるし下さい。
神の子、主イエス私達を憐れんで下さい。
マリア様、私達のためにお祈り下さい。
今朝 10人の 友人から お電話いただきました。長崎のある方から 永井隆先生のご本 "長崎の鐘"の英語版を 送って頂き お配りした方々です。先生の原子爆弾合同葬弔辞 を 謙虚に 拝読し 言葉になりません。 本当に たゞ沈黙。 最後にある方が 2000年以上 イエス様を信じて生き抜いてきたイラクの人たちを思い 長崎に 思い 又 このご本を 家族と 一緒に 読ませて頂きますと 言われました。 私の親戚も 長崎医大で その日に なくなりました。医学部1年生でした。
返信削除今日 このイラクの 方々は 困難な道を歩んで います。原爆のニュースと一緒に 何度も放送されました。
返信削除