2014年8月6日水曜日

広島・原爆の日。死者と平和を祈る。あの頃。

★15歳の頃の顔です。その頃、1年半ほど、大学病院へ入院して、背骨・肋骨・腰骨のカリエスの治療をしていた。だいたい良くなって、そのままの流れで、大学病院の耳鼻科の医局に通って、お医者さんたちの研究の手助けをしていた。そのときの顔です。手助けに、ほかに1人の男性と、2人の女性、写真技師がいた。この頃、聖母の騎士のポーランド修道者たちを知って、時々通っていた。「ボクも、修道者たちの仲間に入りたい」。そう願って、お医者さんの1人に打ち明けると、「なんだ、いま戦争だ。兵隊さんは皆、戦っている。お前は、そんな所へ入って、日本人として、いいのか」と言って、ボクのビンタをパシッ、パシッと、たたいた。当然、泣くわね。15歳だよ。悔しくて、泣いた。すると忘れもしない、長谷川教授の先生が来られて、ボクを教授室へ連れて行って、慰めてくれた。★2年後、原爆がおちて、手助けの3人と、写真技師は、爆死した。ボクは、もう、その場を退職して、爆弾をつくる工場で働いていた。助かった。ボクを叩いたお医者さんは戦地へ行って、戦後、戻ってきた。戦後、出会ったとき、聖母の騎士に入ったと知って、「良かったね」と言ってくれた。慰めた教授の先生は、教授室は壊滅したが、原爆落下の1分前に、廊下をへだてたトイレに入っていて、イノチは助かった。戦後、カトリックの洗礼を受けられた。戦後も出会って、聖母の騎士に居ることを喜んでくれた。パパさまが長崎へ、聖母の騎士へ来られたとき、教授の先生もご招待して、一緒に歓迎することが出来た。★8時15分、広島にむかって、祈りをささげた。死者のため、平和のため祈った。戦争なのに、平和な顔をしていたよ。