2012年7月8日日曜日

今年は公会議50年。自己の信心も変わったか。見詰める日々

聖コルベ館の展示室のパネルです。なぜ、今日はこんな古い写真を使ったかというと、今朝、ミサのときに考えました。私たちが子どもの頃に、教会で教えられたのは公教要理でした。お祈りしなさい。ミサで祈りなさい。告白しなさい。犠牲をしなさい。ゴミを拾う、目を慎む。その行為は煉獄の霊魂を助けますよ。善行もしなさい。病人見舞い、貧しい人を助ける。それに基本は自己聖成です。自分の改良です。これがなければお恵みがない。死者への祈りも忘れない。時には死者のため、司祭にミサも祈って戴く。聖体行列、聖母行列などもあった。司祭への尊敬、聖書に親しむ。最近は、祈りよりも、愛の行為、奉仕、ボランテア、あさ、会議をしましょう。行動しても、自己聖成がないから、トラブルが多い。知り合いの女性で、社会行動、デモ、集会、行進に積極的に参加の人が、ヒマをみて、ロザリオ3本唱えたという。祈りが自然に出来るのは幼い頃からの習慣作りが大切です。これが中々難しい。ゼノさんや、ポーランド修道士たちは、外出する際は、必ず教会へ行って、短い祈りを行なっていた。すばらしい行為です。基本はお祈りを忘れない。お祈り、行動。祈り、働け。昔から、そう言われていた。私は修道士だから、聖書に、こう書いてあるなど教示はしない。それよりニンゲンの生き方を問う。心がけている態度です。