2018年1月31日水曜日

平凡なホーム生活に「ドカン」と突き上げる勲章


時折「歳は幾つ?」と聞かれる。「近々、90」と答えると、「え?お若い」など言われる。自分では、顔はボケ老人と思っていて、食堂のカガミに鼻を拭きながら顔を映すと、「まあ、いい顔、しているな」。小さな満足する。だが問題は、テレビにどう映るかだ。叙勲会場にはテレビが来ていたからね。勲章を戴いてホームへ帰った夜、5時半だった。6時15分から長崎版のテレビがある。そうか、日曜日だな。長崎版のニュースは6時45分からだった。待っていたよ、とテレビに出たのが、この写真です。
★場面は、ポーランド外務副大臣が入室する処から始まり、長崎市長さんの挨拶、私の神学校時代の同級生たち、勲章を授与する処、コルベ神父のお姿、そして出た、私の顔が。「ああ、やっぱり老人だよ」が感想だった。まあ、それでも無事に、テレビにも出させて貰って、有り難い事です。
★ホームの自室に戻ると、やっと緊張が解けてか、ゆっくりした気持ちになった。だが、シンは疲れていたのだろう。心底で興奮が未だ冷めないのか。ベッドへ横になっても中々眠れなかった。「勲章」を戴いた夜だから仕方はない。突然、携帯が鳴る。「なんで、いま時」。起きて、携帯をつかむと、佐世保の親戚の女性からだった。「テレビ、見たよ」と喜びの声。「おお、ありがとう」。10時近い。ますます、その夜は眠れない。
★ホームの職員さんや入居者からも「おめでとう」の挨拶を沢山戴いた。授与の夜は、2度もニュースに流れた。次の朝も、また放送された。しかも「九州・沖縄のニュース」でも放送されたらしく、福岡からも、2回、電話が入った。嬉しい反響でした。
★ホームの生活は、単調で、平日、何事も起こらない。日々、淡々と過ごしている。何事も無いようだが、トマの場合、時々、「ドッカーン」「ドッカーン」と突き上げるような何かが起こる。ホームに居て、それが面白い。
★それと、もう1つ、長崎の人に、時々、忘れないように「コルベ神父」の話題を提供する必要があると感じた。長崎は鎖国時代から、シーボルト先生や、グラバーさんなど有名な外国人が多々出ている。その中で、身代わりの愛の聖人、コルベ神父を忘れてもらっては困る。長崎の人には時々話題にして、「コルベ」を心に刻み付けて欲しいと願う。それを果たした意味でも良かったと思う。

2018年1月30日火曜日

勲章の授与は誰が申請したのか。きっかけは何か?


突然、ポーランド国から名誉勲章を授与されるなんて、誰が想像できたであろうか。私としても、とても、そんな考えが、アタマの中に浮かぶことは1点も無かった。出来事は偶然ではなく、これには誰かが、手を動かした、申請をした者が居るはずだと思う。
★事の起こりは、コルベ神父の映画「二つの冠」が長崎で上映された日にある。当日、ポーランドの全権大使が上映会に見えられていた。おそらく勲章の授与を大使に進言したのは、ポーランド人の神父さんたちであろうと思う。左側・写真は、左からソボン・タデウス神父さま、ポウォムスキ・スタニスラワフ神父さま、トマが居て、後ろが、ブリ・ヤン・アロイシイ神父さまです。このブリ神父さんと関係がある。
★2年前に、ブリ神父さまの愛野教会で信徒たちに、原爆とコルベ神父の身代わりの愛の語り部を勤めたことがある。ブリ神父さんは非常に感激して、喜んでくれた。映画の上映が決まった時、ホームへわざわざブリ神父さまとタデウス神父さまが来られて、映画の前に短い話をして欲しいと、熱心に頼んた。「この勤めは、トマさんしか、話す人は居ないよ」。考えは揺れ動いて、途中で1度はお断りの手紙も出したが、結局、当日になると、上映前には急に話すハメになった。
★その辺から、ポーランド人の神父さま方を通じて、ポーランド大使へのお願い申請になり、それがポーランド外務省に通じて、勲章の授与になった、と私は思っている。神父さま方が勲章授与に適当すると判断されて申告されたのであろう。
★右の写真は、勲章を授与されて、感謝を述べるトマです。新聞記者も居たが、「長崎新聞」に出た見出しが満足だった。大きく「小崎さんにポーランド勲章」。長崎の人は「小崎さん」って誰だろう?思うだろう。それでも親しみを込めて「小崎さん」と呼んでくれたのが嬉しかった。それに長崎新聞の記事の最後の部分の文章が良かった。「大切な人に『ありがとう』と伝えることの大切さ、を訴えてきた」「コルベ神父は、戦争が生んだ人間の暗い闇の中に『愛』という希望の灯をともした」「愛と平和を貫いた人が居ると、若い人たちに伝えたい」
★今日は、その新聞記者に、お礼を一筆書いて、小冊子「トマさんのことば」を送った。
★ホームに入って、4年目を迎えた。入居の当時は、「自分は、この道で良かったのか」の迷いも起こったが、いまは考えも整理されて、勲章を授与されたことで、「ああ、自分の人生は、この流れの中にしか無かったんだ」と確信が持てるようになった。人間は弱い存在だ。常に迷っている。打開策のためにも受賞は意義があった、嬉しい、と感謝している。

2018年1月29日月曜日

勲章輝く。長生きすれば、いいことも、あるモンだ

トマ1人のために、こんなに沢山の関係者が集り、一席を設け、祝福してくれる。夢のような気がした。
★長崎・原爆資料館。ここを見学する修学旅行生たちのため、原爆体験の語り部を勤めたこともある。だから内部の勝手も良く知っている。久しぶりに、懐かしい場所に来た。3階の一室に式典場が設けられていた。写真は左から、原爆資料館長、県の副知事(知事さんは今、選挙中)、長崎市長、そしてトマ。ポーランド外務副大臣、駐日ポーランド全権大使、これらの高貴な面々が相対して、それぞれ長い挨拶があった。特に外務副大臣からは、ポーランド外務大臣の「勲章を授与する理由」が細かく代読された。恐縮ですが、トマを誉めて、褒め上げる文面でした。全く光栄の至りです。
★この他に、ポーランド人の司祭3名、ポーランド人のシスター1名、山口院長神父、他にもシスターやテレビ、長崎新聞、朝日新聞などの取材者たち、また黒のスーツを着た数名の男性がいた。野々村哲さん、塩沢美樹さんも参加して、見守ってくれた。
★こうしてトマは、ポーランドの名誉勲章「べネ・メリト」を戴いた。受賞の後、トマのコメントを求められた。「長生きすれば、いいことも、あるんですね」「ポーランドを助けたというより、原爆で孤児になった私は、ポーランド人から助けられたのです。これがホンネです」。この2つの言葉が、当日の夜、テレビの長崎ニュースで放映された。
★今日の長崎新聞が、これです。高原修道士さんも一緒に大きく写っているので喜びました。高原修道士さんにも恩返しが出来たかな。

2018年1月28日日曜日

勲章を授与される日。早朝、出て、夜に帰ります

もう50年程、前になる。ポーランドを初めて旅行した時、1971年・昭和46年に、クラクフの古城で撮ったスナップです。この風景を忘れない。当時は未だ、ソ連の抑圧化にあった。なぜか素朴さが現われている心に残る一枚だった。自画自賛。今でも好きな場面です。
★今日は、日曜日。勲章を授与される日です。めだたい、希望に満ちた日です。嬉しいですよ。早朝、今、ホームのミサで祈り、自室に戻りました。ミサでも感謝の祈りをしました。これから朝食は修道院で戴いて、8時前には出発します。高原修道士さんが運転のクルマです。修道服を着て行きます。
★予定は、9時から、聖母の騎士でミサ。ポーランドの外務副大臣、全権大使もミサで祈るそうです。その後、一行は聖コルベ記念館、印刷所、ルルドへ参詣されます。これが第1部になっている。
★第2部は、市内のホテル・レストランで会食です。お祝いでしょうか、食事に招待されています。次いで第3部が、いよいよ本番となり、午後3時から、原爆資料館で、勲章式が行なわれます。どのような具合になるのでしょうか。勲章なんて、似合うでしょうか。ゼノ修道士は言っていました。「天国、勲章、イラナイよ」。イヤ、やっぱり有り難いです。名誉な贈り物に感謝します。功労があるとすれば、トマの功績ではなく、多くの人たちのチカラ、聖母マリアさまの助けでしょう。
★今日の帰りは遅くなる予想ですから、詳しくは、また、お知らせします。では、行ってきます。

2018年1月27日土曜日

美しい太陽がのぼる。ああ、いい事がありそうだ


今朝の日の出です。ホームの窓から見える。有明海の彼方に太陽がのぼる。「きれいだなァ」。一瞬、新鮮な気持ちになる。陽が次第に上がって行くと、空が真っ赤に燃えた。「こんな太陽、誰か、見ているのだろうか」。余計な事を考える。「何か、いい事が、起こりそうだよ」
★「明日、長崎へ来て下さい」と、聖母の騎士の院長・山口神父さまからファックスと、電話の連絡が入った。「ポーランドの外務副大臣と、駐日ポーランド大使か来られて、トマさんに勲章を差し上げるそうです。来られますか」「え?勲章?、ですか。ハイ、喜んで、行けるように湯江修道院の院長さまに相談してみます」。「二つの冠」の映画上映の後、感謝状を戴いたではないか。更に、トマに勲章を、なんて、どこから発想が出ているのだろうか。分からない。勲章を下さるなんて、考えもしなかった出来事です。これは一大事ですよ。自分は、そんなにポーランドのタメに尽くしただろうか、クビをひねるばかりです。
★勲章の説明がファックスに記してあった。2009年に制定された名誉勲章「べネ・メリト(功労者のために)」は、国際舞台におけるポーランドの地位向上を目指す活動への貢献が認められた人物で、ポーランド共和国外務大臣が授ける勲章である。
★明日は、どういう日になるだろうか。

2018年1月26日金曜日

偶然は、ない。すべては、み摂理。そのままで、よい

いま「昭和の修道士たち」という題の試作本を校正している。その中に、ヨハネ村山修道士さんの良い写真がある。村山修道士さんは眼が不自由で、見えない。大正13年7月生まれ。ホームで静養しておられる。「この写真、載せても、いいですか」と、写真を説明して許可を願った。「いい、ですよ」と快く承知してくれた。
★村山修道士さんは、戦後間もなく洗礼を受けて、本会の修道士となった。職務は養護施設の指導員。10年が経った頃、眼の病気に罹り、両眼の視力を全く失った。その頃、私も施設の修道院に居たので、よく知っている。
★昭和58年・1983年、東京で、盲導犬「アルゴン」と生活を共に始めた村山修道士さんです。アルゴンには、10年間、お世話になった。早朝、アルゴンと一緒に、ロザリオを3本唱える時間、散歩する。修道院へ帰ると、犬の汗ばむ体を拭ってやる。愛情いっぱい注いだ。アルゴンも老いて、引退の時が来た。平成5年・1993年、最後の日、悲しみを堪えて、アルゴンに最後のシャンプーを3度丁寧にしてやった。次の盲導犬は「カール」だったが、5年で、血液の病気で亡くなった。それから盲導犬なしで、村山修道士は修道生活をつづけてきた。
★いま、ホームで、職員さんたちのお世話、介護を受けながら、食事は食堂で、後は自室で静かに暮らしておられる。93歳。私が写真の許しを願うと、彼は、次のように私に語りかけた。「イスラエル、ルルド、ファチマを巡礼していた時、声が聞こえた。『そのままで、いいんだ。すべては、み摂理。偶然は、ない』。奇跡を望んでいたからね。偶然は、なく、み摂理。聖母。聖霊さま。賛美と感謝。その心で、生きている」

2018年1月25日木曜日

ホームからの景色はハレバレ。帰るとホッとする

自室の前の廊下の窓から見た風景です。前にも紹介したと思います。それでも今日の多良岳・山並みが美しく、くっきりと線を引いているので写真に撮った。何度も登った思い出もある岳です。「長崎は、こんなに晴れているのに」。テレビの報道によると、ここ数日前から、特に日本海側では何十年ぶりかの大雪に見舞われ、ご苦労なさっておられるようです。同じ日なのに、同じ日本なのに、天候の変化の不思議さを感じまて、風景に感謝しました。
★長崎・クリニック診察の日でした。いつものように朝食は修道院でお世話になり、8時前には、高原修道士が運転で、橋口修道士、私、それに平田君を乗せて出発する。速度を上げて、9時前にはクリニックへ着いた。1番に呼ばれたのは「橋口ブラザー」。2番が私で、早めに診察は終わった。一方、高原さんと平田君は聖母の騎士へ。ルルドの水汲みに、車のトランクに一杯のポリ・タンクを積んで走り去ったが、水を汲まずに迎えに来た。ルルドから修道院の庭まで水道管でルルドの水を引いているが、寒気のため管が凍結しており、水が出ない。あきらめた。ホームへ戻ったのは、早々と11時前だった。
★ホームに帰ると、ホッと、します。外出して、時間があるから、「あれ、しよう。これ、しよう」。そういう気持ちには最近は成りません。ホームに戻ると安堵します。「ここがトマの住み家ですから。