2012年9月7日金曜日

入院11日目。聖母マリアのご誕生日。いい事あるぞ

介護の千草さんが今朝、言った。「トマさん、三橋理江子さんからメールが来てね。マリアさまの誕生日って、書いてあったよ」「ああ、そうか。今日は、8日の誕生日だ。すっかり忘れていたな」。それから、ずーっと、「マリアさまの誕生日、そうだ。何か、思い出になる事は無いかな?」と考えつづけた。昼食後、入浴したときも、湯船のなかで、考えつづけていた。幾つかの、ヒントはあった。高木仙ヱ門の孫、高木寛(ひろし)さんは、シスターや司祭などの聖職者に知り合いが多く、それらの人の誕生日を手帳にメモして、いつもお祝いのハガキを出していた。小崎修道士にも届いていた。そんな事を考えながら、湯に入っていると、風呂場の扉を「トン、トン」とノックして、「トマさん、お客さんが、いま来たよ」と、知らせるではないか。「え?だれ?」「愛野教会の、ポーランド人のブリ神父さんが、来ている」「え?」「ポーランドからのお客さんを連れて来ています」「ちょっと、待ってね。談話室で、待って、もらっていてね」。風呂から上がって、迎えたのが、写真の皆さんたちで、「何か、話してください」と言う。幸いに、ポーランド版『焼けたロザリオ』が出版されたときなので、マンガにまつわる「原爆」や、「コルベ神父」や、「ゼノ修道士」や、現在の教会や、我が人生の歩みなどを語った。ビデオに収録した。「ポーランドで、『焼けたロザリオ』を宣伝してください」。それが願いだ。ブリ神父さんが通訳した。彼らが帰った後、「マリアさま、御身の誕生日です。おめでとうございます。今日は、すばらしいお客さんを送ってくださいました。もっとも意義ある恵みの日になりました」と感謝した。★夜になって、長崎市内のポーランド人シスターが見舞いに来た。シスターの話で、初めて彼らの取材が分かった。ポーランドから来た2人は、クラクフの大神学校の神学生です。いま大分に、サレジオ会の司祭で、ご高齢のピサルスキー神父さんが居られる。その神父さんの映画製作のために来日し、取材を始めているそうです。「いっしょに、ポーランドで、宣伝してもらえば、ありがたいよ」

2012年9月6日木曜日

入院10日目。カオは、いい。頭の毛が、ボサボサ

ホラ、ホラ、この通り。元気になりました。今日の日付が入った写真です。「やあ、それでも今度は大変だったよ」。しかし人間のイノチって、ふしぎですね。皆さん、沢山のお祈り、有り難うございました。祈りが、胸に、ぎゅっと、通じました。両脇の、こわそうな男性は、看護師さんです。やさしい人たちですよ。彼らに甘えています。シーツ交換の後で、撮りました。やや、背中が老いたかな。顔の「むくみ」も取れて、今日から、スッキリ、普通の顔になりました。お腹も、顔も、手も、大層、浮腫(むく)んでいたのです。外来診察を終えたお医者さんがベッドのそばで、言った。「すっきり、なりましたね。今週は、ゆっくりして、来週、あなたが、いいと思うときに、退院は考えましょうね」「おかげで、尿は、いまは最も、きれいになっています」。赤尾院長さんが、夕方、パソコンを抱えてきてくれた。「楽しみが、また1つ、ふえたぞ」。病院の夜は、長がーイ、けんね。


2012年9月5日水曜日

入院9日目。鳥取から夫妻が見舞いにきた。20世紀の梨

鳥取に、毎日、日記をみてくれる『みどり』さんがいる。「読者になる」の第1号でもある。いつぞや、鳥取に旅して、お世話になった。砂丘にも、案内された。また鳥取には、泌尿器科のお医者さんで、中村先生がいる。熱心なカトリックの医師だ。先日、ベッドから、中村お医者さんと、40分も、病状について話した。鳥取には、他に、土橋夫妻がいる。『みどり』さんから電話があって、「近々、土橋さん夫妻が、九州へ行くそうよ」と教えた。心待ちにしていたら、土橋さん夫妻が、『20世紀の梨』を、重たいのに下げて、見舞いに現れた。この夫妻との出会いは、こうだ。鳥取の教会でミサで祈ると、白い修道服を着て、リズムに乗せながら、大きな体で、オルガンを弾くベルギー人修道士がいた。その姿に、妙に、心引かれた。鳥取には、珍しく、3人の、福祉で活躍する修道士(2人は、ベルギー人)がいるそうだ。「遠い異国から来て、修道士たちが、よくぞ、がんばるなあ」と感心した。「彼らの、修道院を訪問したいな」と、思っていたら、「いい、ですよ」と、連れて行ってくれたのが、土橋さんだった。彼の車にお世話になる。小さな修道院に入ると、オルガン修道士とは別に、ベルギー人修道士が案内してくれた。修道院の壁に、ラテン語で、「与えよ、されば、与えられん」と書いてあったのを、忘れない。「長崎には、修道士も多い。見慣れていますよ。それが鳥取の、日本海に面した、人の目に触れない場所で、ひっそりと、神の愛を実践する。キリストの心で生きている。すばらしいことじゃ、ないですか。感動ものですよ」と言いつつ、あの時は土橋さん夫妻に、別れた。「おお、久しぶりだね」と、しばし語らい、「旅する夫妻よ、長崎・信仰の心を、みやげに持って、帰りなさい」

2012年9月4日火曜日

入院8日目。初体験・病者の秘跡。タマシイが安らぐ

午後3時、修道服を着た赤尾院長さんと、若い司祭、李神父さんが見えた。今度の入院で、「イノチの、ともし火」を感じる。いよいよ、病者の塗油の秘跡を、受ける。まず、李神父さんと、2人だけになり、告解を果たした。定期的に、李神父さんには、告解をしているので、ゆっくりとした気持ちで、心中を述べた。李神父さんの、言い聞かせも、あった。カトリックに、こういう秘蹟があるのは、ほんとうに有り難いと、感謝した。心は、安らかになった。生きている恵みが、わいてきた。その思いで、病者の塗油の秘蹟は、始まった。お祈りや、聖書の一部が読まれる。神妙に、ベッドの上で、ひたすら、祈った。ニンゲンは生まれ、育ち、才能を発揮して、成熟を向かえ、やがて老いて、枯れていく。ニンゲンって、ほんとうに、小さな存在に過ぎないと、思った。「長いあいだ、お世話になりました」。だれに、お礼をいえば、いいのか。神さまか。自分のカラダか。そんな単純な気持ちだった。安らかな気持ちになった。終わった後で、記念にと、写真を撮った。そうそう、撮れる写真じゃ、なかった。

2012年9月3日月曜日

入院7日目。クダも取れて、やっと歩ける。皆さんのおかげ

最近、改心して、コルベのルルドの水を飲んでいる。水は、まろやかで、口の、当たりが、違う。はっきり、分かる。もちろん飲んではいたが、常飲はしていなかった。それが、いまは、ルルドの水、1本。千草さんが度々言う。「こんど、いちばん、びっくりしたことは、トマさんが、ルルドの水を飲んでいることだよね」。聞いている本人は、全く、何も、答えなかった。意味は、あるのだが。朝、8時半すぎに診療があった。「尿管を取りましょうね」とお医者さん。「すーっと」抜いた。「鼻のサンソも、いいでしょう」「夕方で、点滴も、終わりです」。あのクダ。このクダ。みんな取れて、スッキリなって、気持ちも嬉しい。快適だ。イノチを下さった神さま、ありがとう。そして、祈ってくれた皆さん、ありがとう。ところで、お医者さんがステントを入れる前に、(多分、8月30日、木曜日に)、「尿が出なければ、『一時的に、人工透析』を考えてください」と言っていた。そこで私は、『病者の塗油』も考えてください、と周りに言ったが、この一言が、思わぬ影響を与えたらしい。「トマが、透析に」「トマが、病者の秘蹟を」「ああ、もうトマは、オシマイか」などなど。どうやら広がったらしい。午後、教会の主任神父さんが来て、「トマさん、あした、病者の塗油の秘蹟をする、ね」と告げられ、内心、びっくりした。でも病者の塗油は何度でも受けられるので、「ハイ、分かりました」とありがたく、受け止めた。秘蹟を受ける前には、告解をする。告解を聞いてもらう司祭は個人的に決めているので、電話で、その司祭に塗油の件を告げて、告解をお願いした。これで気持ちも、すっきりとなる。尿も、順調に出始めた。昨日の尿量は、3.000ccだった。今日は、3.700cc。びっくりする尿量である。しかし、あまり、はしゃぐと、夕方、夕食後になると、7度2分ほどの熱が出た。「あんまり、はしゃぐな」

2012年9月2日日曜日

入院6日目。人生に、必ず、良きサマリア人は、いる

介護に来ている千草さんが言う。「トマさんは、お母さんに結ばれているのよ。戦前、お母さんが聖母の騎士のルルドへ連れて行って、ゼノさんたちに、わたりを、つけていた。コルベ神父さまから、招かれていたのよ」と言いながら、長崎・光源寺の『飴やの、ゆうれい』の話をした。よく覚えていないが、確か、幼い子どもを残して死んだ母親が、飴やに、飴を買いに行き、幼子を育てる話だった。その話をベッドの上で、天井を見詰めながら、聞きながら、こう、思った。「そういう話が、世の中を、救い、光を当てる。希望を与える。それが、ストリーだ。内容が、どうであったか、本当に、そうであったか、そんなことは、どうでも、いい。その中に、秘められた『神秘性』に、ニンゲンの心がつながる。それは、それで、いいんだ」と。『人は、人生の途上において、沢山の人に、出会うでしょう。しかし、それらの人は、みな、裏側を、通り過ぎた人たちだった。最後に、誰に、出会うか。それが、良きサマリア人。必ず、人生に、そういう人は、いる』

2012年9月1日土曜日

入院5日目。調子が、いい。しゃべり過ぎて、8度8分

現在の病状をお知らせしますと、まず肺呼吸の減少で、鼻にサンソのクダがつながれている。次は、点滴です。特別に、炎症を抑えるクスリを入れる。点滴のクダにつながれる。それから、尿です。起きて、トイレに行かないように、尿袋のクダにつながれている。最後は、目には見えないが、腎臓から、ボウコウへ、ステントのクダでつながれている。そして、まだ最後が、あります。これが大事です。「神さまの、愛と、イノチのクダに、つながって、おります」。日中、少々しゃべりすぎて、夜には、8度8分の熱が出て、反省しております。私は思うんです。ベッドという、動けない十字架にしばられて、自分を省みれば、2つだけ、大きな体験をした。第1は、原爆です。あの廃墟と化した原爆の丘にたたずむ少年のソバに、主は居られたのでしょうか。少年は老いても、問いかけます。第2は、アウシュヴィッツのガス室の、(私は、そこに、10回も行きました)、ガス室の中じゃ、ないんです。ガス室の、10歩手前、20歩手前、50歩手前、そこを、前を向いて歩く群衆、幼児がいる、女性がいる、老人たちも、まだ彼らは死ぬことを知らない。シャワーを浴びると、だまされている、その中に、もし私が居たら、主よ、あなたは私のソバに居られますか。ここまで考えてくると、ベッドの上でナミダが出てくる。『主よ、居られますか』。老いても、問いかけます。余りにも厳しい現実です。本には書いてある。居られます、と。言葉でも簡単に言います、居られます、と。ごめんなさい。私には、もう素直には、問いかけられません。まだ死ぬと分かっていないから、です。そこに、コルベ神父が出てくるんですね。コルベ神父は、自分が『必ず、死ぬ』と分かっていた。だから、コルベ神父のソバには、主は確かに居られたのです。主と共に死ぬと分からない者には、この道理は理解し得ないと、いまは思う。原爆の丘で、パウロ永井隆先生は、(私は、小神の中学で理科を習った恩師です)、放射線医師として、被爆者として、自分は必ず死ぬと充分に分かっていた。それなのに、原爆救助に奔走した。死ぬと自覚していたからこそ、主は、共に居られたのです。信仰とは、本じゃ、ない。話じゃ、ない。肌で感じる体験なのです。だからベッドの上の、弱い私は、助けを、求めます。「主よ」「コルベ神父さまよ」「永井先生よ」